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ドアベルが鳴った。
いらっしゃいませ、と声をかけながら、さっと壁の時計に目をやる。時刻は午後八時半にわずかに届かない、ラストオーダーぎりぎりの時間だった。レジ締めに入ろうとしていたわたしはさっとカウンター内に戻る。
「お好きな席へどうぞ」
ひょろりと痩せた二十歳前後の女だった。レンガ色のダッフルコートを着て、リアルな猫の顔が描かれたトートバッグを肩にかけている。常連客でないことは確かだが、初めての客かどうかはわからない。
わたしが経営する【カフェ・ヴァスティ】は最寄駅からやや離れた住宅街の一角にあり、八時を過ぎるとほぼ店内は空になる。信号にひっかかると十五分以上歩く羽目になるような場所に、こんな時間に訪れる奇特な人物がいるとは。
もう閉店モードになっていた心を引き戻し、水のグラスとおしぼりを持って近づく。
「お決まりになりましたらお呼びください」と言いかけたわたしに、
「ミックスジュースをください」
と、女は早口に言った。
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