カフェ・ヴァスティ

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「どうしてご存じなんですか」  呆然とした顔で、岡野さんはまたトートバッグに手を差し込む。  一口も減っていないグラスの隣に置かれた本の表紙の絵に、わたしは心の中だけで「やはり」と呟いた。 「……お貸ししたんです」  わたしは彼女の背後にある棚を指した。  年季の入ったウォールナットの違い棚には、わたしが旅先や古道具市で買い求めた置物が並んでいる。その一番上に二冊の本が差してある。  わたしはそれを取ってきて、岡野さんの前に並べた。 「三部作なんですよ」  岡野さんは息を詰め、そっと真ん中の本の表紙に触れた。  欠ける前はあんな目立たないところではなく、壁にスタンドを置いて、三冊の表紙が前を向くようにして飾ってあったのだ。 「幼いころに翻訳されたものを読んだことがある、とおっしゃっていました。原書をご覧になったのは初めてのようで、ぜひ辞書を引いてでも読んでみたいと。……それでお貸ししたのですよ」  岡野さんは本をぱらぱらとめくり、次の巻をまた同じように、そして三冊目も同じく中を改めた。本を置くと、黙ったままうつむく。 「そのままご連絡がなく……そうですか、お亡くなりになっていたのですね」
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