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ある男の一瞬
スタンドは観客で埋め尽くされていた。
シーズン終盤、優勝争いは最早遠く、5点ビハインドで迎える九回の裏。試合の見所はマウンドに立つエースピッチャー『櫻井久司』が無失点完投を成し遂げるか否かの一点となっていた。
俺はネクストバッターズサークルで素振りもせずに立ち尽くしていた。
先頭打者がセカンドゴロに討ち取られたがそんな事は知った事ではない。万年Bクラスの弱小球団が勝とうが負けようがどうでもいい。櫻井の肩がどの程度疲弊しているか、今の俺にとってはそれだけが問題だ。
球場アナウンスが代打『樋口』を告げる。球場全体にどよめきが広がり、俺は慣れ親しんだバッターボックスに立つ。今シーズンの一軍出場は二回目だ。そして今夜限りもう二度と俺がバッターボックスに立つことは無い。
「おつかれさま!」
観客席から俺に声が掛かる。しらじらしい。俺がお前らの心無い野次にどれほど苦しめられた事か。
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