泉のほとり

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母校では10月に、幼稚園、小、中、高合同で「体育祭」をしました。 久我山にあった「三井グランド」という大きな運動場を借りてするのです。 見せ場はやはり、学年ごとの徒競走。 ニュースで「勝ち負けにこだわらない徒競走」が現代の主流というのを見ましたが、40年前の「徒競走」はシンプル。身長順に生徒を一列にして6人づつ組に、身長差を少なくしたうえで競走します。 速い子はいつだって1番。ビリの子はいつでもビリです。 全校生徒、親たちも含め公衆の面前ではっきりわかります。 私は、「俊足少女マイちゃん」と同じ組にならない限り、大抵1番でした。体育は好きではありませんでしたが、足だけ速かったのです。1番と2番の子は、金箔の校章付き鉛筆をもらえました。 オガコは、当然ながら、1年生の時から必ずビリでした。 ビリというか…みんながゴールしてしまっても、大きく体を左右にゆすりながら走り続け、バランスを崩して転んだりしながらも、やっとゴールするという感じでした。それでも、50メートル走、100メートル走、グランド3週マラソンも必ず出ました。 保護者会の時にその話題になって、お母さん同士の会話で、オガコはみんなと一緒に走らないでもいいんじゃない?と言う意見が出たそうです。もちろん思いやる気持ちで。ですが、オガコのおかあさんが「真理子はみんなと一緒に走らせます」と毅然としておっしゃったそうです。もちろんそれも、我が子に強く生きてほしいという気持ちで。それを聞いていた私の母は(私なら走らせない)と思ったそうです。つづきます
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