カトレア

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 しかし、反面、カトレアという花がやたら目につくようにもなった。  カトレアは、大抵のちゃんとした花屋には、冷蔵庫の奥のほうに置いてあった。それほど売れそうでもないが、これが無いと花屋の冷蔵庫が完成しないという感じ。ちょうど、マスクメロンの置いてない果物屋が様にならないように。 私は花屋を見かけると必ずそれをチェックした。    あるとき 、学校の帰り道、三軒茶屋の花屋でとうとうそれを買った。手元に置いて、あの美しくも不気味な花の構造をじっくりと観察したかったのだ。値段を聞く時、少しドキドキした。高価な花だろうと思っていたからだ。ところが蘭の種類はバイオ栽培で大量生産が可能になったせいで、昔ほど高価ではなくなったという。それは私の当時のお小遣いで買えるのだった。  性的な魅力を全て消すようにデザインされたミッションスクールの制服に身を包み、学校指定の無骨な革靴を履いた15歳の私は、透明のセロファンに包まれた紫のカトレアを、不恰好に膨らんだ鞄を持っていないほうの手に持ってバスを待っていた。すると、熱をおびた視線を感じる。同じバス停に立っていた中年の白人の男が、遠慮のない視線を、私と、手に持ったカトレアとに交互に投げつけているのだった。  私のほうが遠慮がちにその表情を盗み観ると、眼が合ったとたん、不躾にも彼はニッコリ笑いかけた。さらに大胆に、つかつかと私に歩み寄り、ぴったりと横に並んで立ち、「きれいだね」と日本語でささやいた。それまでも男の人に何か言われたことはあるが、白人の男の、そのまま欲情に直結するような、物悲しいような目にぶつかって、私はサージの制服の中で身を堅くして下を向いた。  男は執拗に私に何かをささやいた。それを聞いているうちに、私はふと、彼に笑いかけてみようかと思ったのだ。そして、私は下を向いたまま、ちょっとだけ、ほんとうにちょっとだけ、口元を綻ばせた。すると、みるみると、男の目の色が変わるではないか。  そのとき私は初めて、自分の押さえつけても弾き返すような弾力を備え始めた肉体が、異性にどんな作用をおよぼすのかを、小さな驚きを持って自覚した。 そして次第に、聖なる少女娼婦にあこがれることもなくなり、未成熟な肉体に執着することからも解放されていった。 私は17歳で遅い初潮を迎えた。
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