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一時の恋愛に満足していたし、同時に、その先の希望なんて持てなかった頃。今よりずっと自分は冷淡だったと、摂は信じないかもしれない。彫刻家の卵で、アマチュアバンドのベーシスト。髪の毛の先の方をいつも黄緑に染めてた。頬まであるそばかすの跡が、とてもキュートだったな。ぎゅうう、と、下着の上からそこを握られる。
「……摂っ」
「思い出すの、禁止」
不自然な沈黙で、彼の不興を買ってしまった。ほらこうやって、気まぐれに命令を変える。謝罪の代わりに鼻先にキスを贈って、中途半端に下がったズボンのせいでもたつきながら、ノアは少し身体を離した。
「……ひとつだけ、提案が」
「どうぞ?」
「コンドームを。お互いのために」
くるり、瞳を動かして、摂が顎を引く。
「お互いのために。それがノアの主義?」
「そうだね、主義」
愛し合う行為に危険があってはならないというのが、自分の考えだ。摂はノアの提案に反発こそしなかったが、顔をちらりと曇らせた。
「いいけど……俺は、持ってない」
「それが摂の主義?」
「主義ってゆうか、いいかげんなんだ……妊娠もしないしって、思ってる。失望した?」
「しないよ。それに、用意するのは俺の役目」
急に心細そうにする摂の頬を撫でて、下がった位置の尻ポケットを探る。ほら、と綴りを出して振って見せるノアに、周到なことで、と笑ってくれてもよかったのに。摂はごく真剣な表情と、真剣な口調で言った。
「……よかった」
「うん?」
「今から買いに行くって言ったら、殴るとこだった」
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