0人が本棚に入れています
本棚に追加
八月某日、番組スタッフはヒメコの元へやって来た。
体育館のような広い空間に、端から端まで伸びる長い枠組みが数本並び、その中には桑の葉がびっしりと敷き詰められていた。これは『蚕座(さんざ)』と呼ばれ、この中で蚕は飼育される。桑の葉は蚕の食料だ。何万頭もの蚕が一斉に桑の葉を喰む。その音は雨のようだとも歌われた。
ヒメコもその中にいた。だが、周囲の仲間たちのように桑の葉を食べてはいない。仲間の蚕がうごめく中、体を持ち上げ、微動だにせず葉の上で静止していた。
ヒメコは、眠っていた。
蚕の幼虫は体が大きくなっていく過程で通常四回ほどの脱皮を繰り返す。皮膚が成長に合わせて大きくならないので脱ぎ捨てる必要があるのだ。脱ぎ捨てる皮膚の下には新しい皮膚が出来ていなければならず、蚕は食事も取らずにじっと静止しその時を待つ。この様子は眠っているかのように見えることから『眠(みん)』と呼ばれている。
ヒメコの傍らには、すでに脱ぎ捨てられた皮があった。『眠』は脱皮した後、新しい皮膚が固まるまでも続けられる。ヒメコが再び活動を再開するまで、スタッフは待った。
「お待たせてしてごめんなさいね」
動き出したのは夕方になってからだった。汚れのない白い体がくにゃりと曲がった。体の大きさも以前取材した時より一回り大きくなっている。
「でも、もう少し待ってくださる? 私、お腹が空いて仕方がありませんの。決行は夜にいたしましょ」
言うが早いか、ヒメコは目前の桑の葉を貪りだした。
四度の脱皮を終えた蚕はよく食べる。一生の内の九割の食事をこの時期するという。それだけ繭を作ることが大変ということなのだろうか。
だが、ヒメコにとってはそれだけが目的というわけではないのだろう。準備は着々と進んでいた。
最初のコメントを投稿しよう!