慟哭

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金輪は次に竹貫三郎の前に立った。 「竹貫……お前とは長い付き合いだったな」 竹貫と初めて出会ったのは、金輪が渋江内膳の元で働きだしてから数年ほど経った時の事だった。 渋江家は禄髙二千九百五石、藩では重臣筆頭格の家柄で、先祖は下野の豪族小山氏の臣で荒川の姓を名乗っていた。 小山家は甲斐の武田氏に仕えていたが、豊臣と北条の戦いでは、北条につき敗北、浪人となった所を佐竹家中の者に拾われて渋江家の養子となった。 佐竹氏が常陸から国替えになった時、これに従って渋江家は秋田入りしている。 竹貫家も佐竹氏の兵の一つであった、元々は福島の古殿町の竹貫と言う所に住んでいたが、やはり国替えの際に共に秋田入りしている。 竹貫家は渋江家から近い所にあった。 それに比べ、志渡家……金輪の家は阿仁銀山の中でも、藩より永代三人扶持を給され、苗字帯刀が許された名家であっても、身分は町人であった。 志渡長治(金輪五郎)は渋江家の道場で、直心影流を学んだ、五尺ほどしかない小兵だが、動きは機敏で、力は五人力はあったから、直ぐに頭角を表し、下男から家臣格までになっていた。 そんな時、道場に通う勤皇の志士達の中に竹貫三郎がいた。 兄二人と弟が一人、四人で道場に通ってきている。 まだ元服前の三郎は幼さが残る少年であった。 立派な武家だと知り、志渡長治は竹貫家と交流を深めていったのだ。
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