慟哭

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『大体なあ、俺達が刀を持つのは弱い者を守る為だ、人を殺す為じゃねえ!勘違いすんな!!』 『……っ!?』 志渡の剣は常に人を守る為のものだった、その教えは生涯、大木や竹貫の志となり、共に生きる仲間となる。 大木はその体格を生かし、みるみるうちに上達して、一年足らずで立派な剣客になった。 そんな時である、渋江内膳から、江戸から小島四郎と名乗る者が、この道場にやって来ると聞いたのは…… 『遥々江戸からようこそお出でくださいました』 『しばらく、厄介になります』 相楽総三こと小島四郎はこの時二十三歳、江戸の赤坂に住む郷士の息子で、背筋を伸ばし正座し頭を下げた、いかにも金持ちの品が良い坊っちゃんで、供を何人か連れてやって来た。 『それにしても、この道場は活気がありますな』 『江戸のように幾つも道場がある訳ではないので、自然と皆、ここに集まって来るのですよ』 江戸には三大道場と呼ばれる、北辰一刀流の玄武館、神道無念流の練兵館、鏡新明智流の士学館の他にも、天然理心流の試衛館や各流派の道場が犇めくようにある。 道場は志士達の交流の場でもあり、各地から江戸に出てきている者も多かった。 小島四郎は平田国学者である、江戸では実家で塾を開き、国学と兵学を教えていた、その門人は百人を越えていたと言う。 『じゃあ、塾を畳んでこの秋田にやって来たと言うのか?』 『ああ……志渡君、各地を周るには長く家を空けなければいけないからね』 一年になるか……二年になるか、いつ帰るかもわからない主を待たせておく訳にはいかないと塾を閉鎖して旅に出たのだと言う。 志渡は初め、小島は郷士、自分は所詮町人で、育ちも小島は立ち振舞いから自分達とは違う、しかも六つも年下の小島とは馬が合わないだろう…… ……そう思っていた。 だが、小島は江戸育ちだからと気取る事もなく、気さくに皆と打ち解け合い、来たばかりだと言うのに、皆、小島の話しに興味津々だ。
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