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「ハンスさん。その部屋には入らないでください」
険のある声に、ハンスが身を竦める。ハンスはただドアの前に立っていただけだった。それなのに、ソフィアは珍しく声を荒らげハンスを咎めた。
「屋根裏部屋がご不満ですか?」
「いえ、そうじゃありません」
ソフィアの怒声に、ハンスは必死に首を横に振る。自分の行動に、決して深い意味などないと言わんばかりに。しかし、ソフィアの怒りは治まらない。
ドアの向こうは空き部屋だった。それにも関わらず、ハンスには狭い屋根裏部屋を宛がっていた。これに悪意などない。なぜなら、この部屋はソフィアにとって誰にも触れさせたくない空間であり、触れたくない空間だったから。
「……ソフィアさん。少しだけ付き合ってもらえますか」
何を言っても、感情を昂らせた今のソフィアには届かない。そう悟ったのか、ハンスは了承を得ないままソフィアの手を取ると、強引に外へと引っ張り出した。
「ソフィアさん、あれを見てください」
「……? 雲鯨が何ですか?」
外に出るなり、ハンスが空を指差す。そこには、一時期よりも数を減らした雲鯨が青い空の海を優雅に泳ぐ姿があった。
「ソフィアさんは、雲鯨を見てどう思います?」
「どう、って……。特に、何も……」
彼は突然何を言い出すのだろ。と、横に立つ男を怪訝に思いながら、もう一度空を見上げる。すると、あれほどいきり立っていた感情が、水で冷やされていくみたいに落ち着いてきた。
「雲鯨は雲でも生物でもありません。魂なんです」
「……たましい?」
「正確には魂を安住の地に運ぶための器。雲鯨の中で多くの魂が一つに溶け合い、眠っています。ですが、魂は時々目を覚まし、地上を見つめて涙を流すことがあります。もう一度、あの人に逢いたい、声が聞きたい、抱きしめたいって……」
気持ちは落ち着いたが、彼の話は理解が追い付かず、ソフィアはただ聞くだけになっていた。
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