1人が本棚に入れています
本棚に追加
老女は顎に手をやり、つと空を見上げた。
ベンチの真上にあるライトのずっと先で、半月がぽっかりと浮いている。はぁ、と老女のついたため息の音が空へと舞いあがった。
「夫がね、戦争に行ったきり戻ってこないの」
「そうなんですか」
ああ、とわたしは合点する。『待っている』とはひょっとしたらそういうことなのか。残念ながらわたしはこういった人の対応になれていなかった。ここは黙って聞き続け、話を合わせてあげるのが良いのだろうが、
「もう始まって8年。いったいいつ終わるのやら……高齢化が進んでいるからって……ねぇ」
老女はこちらのことなんかもう視界に入っていない様子で、アメリカの下でとか、Su-57がとか、ぶつぶつ呟いている。
わたしはしばらく黙ったまま老女の傍に立っていた。風が絶え間なく吹きつける中、頬がぴりぴりと冷えてくる。わたしもそろそろ帰りたい、が、このまま放っておくのは不安だ。近くの交番に寄って、保護をお願いした方がいいかもとわたしが顔を横に向けると、ベンチに老女の姿はなかった。
園内を前後左右見回しても、いなかった。かじかんだ手で触れたベンチは、肌との境もわからないほどに冷えている。
呆然とするわたしの隣を、真っ赤なランニングウェアの女性が走り過ぎる。
その生きものの気配にすがるようにして、わたしは公園を飛び出した。
そういえば第二次世界大戦が行われたのは、1939年から1945年までの『6年間』ではなかったか。
終
最初のコメントを投稿しよう!