待てど待てど・・

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「幸せの青い鳥」は待てど待てど、やって来ない・・。 いつからだろう・・?幸せの青い鳥が「しあわせ」をもたらしてくれると云ったのは? あの鳥さえ見つけたら、私は幸せになれる! そう思い続け、何年の年月を過ごしてきたか・・。 あの鳥もこの鳥も飼っては飽き、あの幻の青い鳥さえ見つけたら、私はようやく幸せになれると思い、これまで鳥観察や鳥情報収集に精を入れてきた。 私は鳥の楽園であるニュージーランドに生まれたこともあり、大の鳥好きだ。 蛇や肉食捕食系動物のいないこの国の鳥は、美しくも儚く(はかなく)もあり、その孤高のはかなさに心を奪われたのは、私がまだ小学生の頃。 まだ体が小さく、割とひ弱であったわたしは、何かあってはいつも家の裏に広がっている公園と隣接した大きな樫の木を部屋から眺めているのが好きだった。 わたしの両親は日本人で、わたしは日本から遠く離れたこの国に長女として生まれたが、物心ついた時からあまり両親の愛情というものを感じたことがなかった。 お父さんとお母さんが何かでもめる度、わたしは自分の部屋へ駆け込み、扉を固く閉ざしては窓際により、庭の大きな樫の木で鳥が行き交うのを眺めていた。 そんなある日、窓際でうとうとしていると、ふと青い鳥が部屋に舞い込んできた。 「何てすてきな鳥だろう・・」 その可愛らしい容姿と仕草にボッーと見入っていると、冷たかった心が次第にホカホカと温かくなってくるのが感じられた。 「幸せってこういう気持ちをいうのかな」 今まで冷たく感じられた体と、そういうものだと思っていた心に、まるで日が直接差し込んで来たような感覚だった。 青い鳥はわたしの手の上にあった食べかけのパンの上に飛び乗り、チョンチョンとつまんでは窓の方に向きを変え、飛び立って行った。 それからというもの、わたしが部屋に籠っていたり、寂しい気持ちの時はいつも同じ青い鳥が、開け放たれた窓からやってきた。 鳥はまるでわたしの心を察してか、もしくは心が通じているみたいに、わたしがパンを手に持ち来て欲しいと願ったときに来る。 そしてわたしの手の上に乗り、パンをついばむと必ずわたしの心は温かい気持ちで満たされる・・。 こんな日が2か月も続いた頃、公園再生計画と称した伐採区画整理の一環で、庭の樫の木の向かいにあった大きな松の木に手が加えられた。 青い鳥はそれ以後、訪れることはなかった。
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