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控えの間にもどり、介錯に使った刀を油でぬぐう。しっかり血糊を落とさねば、切れ味が鈍るのだ。
屋敷の主、山中才蔵が現れた。
「本日は、ご苦労にござった」
膳に茶と菓子を載せて来た。
「佐竹のやつ、薄皮一枚しか切っておらぬ。あれで切腹したつもりであろうか」
「どのように切るかは、切腹人が決める事ゆえ」
ぷんぷん、山中は肩を怒らせる。
「危うく見苦しき事になりかけました。あの歌など、お手前、見事でございました」
「いや、お恥ずかしい」
岡田は謙遜して頭を下げた。
三郎は茶だけを飲み、菓子は懐に入れていた。
夜、美津に持ち帰った菓子を与えた。
腹の子が欲するのか、美津は大食いになった。何でも、口に入る物は食べてしまう。
布団に入り、三郎は昼間の事を思い出した。
「父が、歌を!」
美津は驚くばかり。聞いた事が無かったからだ。
三郎は歌が気にかかり、父の抜刀を見逃した。同じ事が切腹人にも起きて、腹を切る痛みを、少しでも感じずに済んだのだろうか。
「切腹人は、佐竹又十郎と言うのですか」
今度は美和が驚いて声を出した。美和は佐竹の家から嫁に来たのだ。
美和は元気にしている、と義父が言ったのを思い出した。切腹人の緊張を解くためだったのだろうか。
くくく、美和が三郎の肩にしがみつき、かすかに声をもらした。泣いているのか、笑っているのか。
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