一、 十文字

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 三郎は腰に一本差しで出かけた。  ひげも剃らず、髷も結い直さぬまま。浪人と言われて、仕方ない風体だ。  坂下の家は下郷町にある。藩の城下にあって、下級武士が住む下郷町は城の外堀であり、上級武士が住む上郷町は内堀だ。  門構え、塀の造り、三郎には居心地の悪い所だ。  城の門前を曲がり、本多屋敷を探した。人だかりがある、武士ばかりか町人もいる。目指す所だった。  屋敷の門には槍の番人が睨みを利かしていた。人集りは裏手へ動く。三郎も習った。  立派な門も塀も正面だけで、横に回ると生け垣だった。裏の生け垣は腰の高さで、庭が丸見えだ。  集まった人に樽酒がふるまわれていた。餅に菓子も出ている。  三郎は干物をもらい口にした。  人の頭越しに庭を望むと、屏風が立てられ、畳が三枚敷かれていた。  切腹の座だ。武士ならば、すぐに分かる。  それを見物させようとしているのだ。  おおお、見物の衆が声を上げた。  切腹の座の対面にある廊下に三人が現れた。裃の検使たちが並んで着座した。  庭の奥の床几に、若い武士と年増の女が腰掛けた。親子であろうか、二人とも顔が暗い。
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