第1章

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恋する心とその隙間と 1 「 ありがとう 」 雑踏の中で聞こえてきたセンテンスにどきっとする。 あいつが俺のそばからいなくなってから約2ヶ月。 ありがとう、その声は別れの時の言葉だった。 お互いに連絡する事は長い間避けていたせいか、要件も無いのに連絡することが憚られる。 若僧じゃあるまいし。無理に心に浮かんだ気持ちを抑えるよう声に出してみても未練がましいだけだな。 今日は連絡してみるか…… そう思いながら、1日の最後になるだろうコーヒーに口をつけると、スマフォに着信があった。 まさか……と思いながらも、ざわめく気持ちをなだめながらわざとゆっくり手に取りディスプレイを確認すると、 気分は一気に落ちる。 「 もしもし、随分ご無沙汰ね 」 「 あぁ、悪かったな。仕事が忙しく……」 「 何言ってるの。あなたの仕事が忙しいのはいつものことじゃない、そんな言い訳通用しないわよ 」 去年まで夜の付き合いもあったマリからの電話だった。 人の話を遮って話し出す癖は以前のままだ。 「 今夜、予定は?」 「 唐突だな、だから忙しいって、、」 「 理由はそれだけ? それなら9時に帝都ホテルの10階のラウンジに来てよね、 私一人じゃ無いから 」 「 だれと一緒なんだ?」 マリのなにかを含んだ物言いには悪い予感しかしない。 「 あなたのところをクビになったボーイと、一緒 」 それは誰だ?と聞くまでも無い。 昨年暮れに唐突に辞めた青年の名が頭によぎった。 どうして、マリと知り合いなんだ? そうか、思い出した記憶に苦虫を潰す。 マリの娘の家庭教師だったあの子を雇ったのは俺だった。 帝都ホテルのエントランスホールは夜のウェディングでもあったのか夜9時も回ったというのに、若い酔っ払いで溢れている。 どれも似たようなドレスと似合わないタキシードの酔いどれを避け、エレベーターで10階に上がる。 どうしようか、二人に会う前にジュンヤに電話をしようかと思いながらラウンジの入り口から少し横に逸れると、 ついてない日はこんなものか…… 先の男子トイレから彼が出てきた。 着せられたようなデザイナーのスーツに、もう伊達だと分かる程似合わない眼鏡。 俯いて歩いているので俺のことはまだ見えてないようだ。 垂れた前髪を鬱陶しく眺めていると、目の前まで来た足が止まる。
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