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ゆっくりとペンを取り上げ、躊躇い震える手で名前を書き出すまで、彼女の視線はジッと注がれ続ける。
息を詰める祐美とその店員と──
サラサラとペンの走る音。
ジジッとランプの中の芯が燃える音。
自分の心臓の音が聞こえてしまいそうなぐらい、何も音のない部屋。
「それくらいでいいでしょう」
その声でふわりと部屋の雰囲気が変わった。
誰かが向かい合せの椅子に座るまで、祐美はその人のことに気がつかなかった。
まるで空気の中から突然現れたみたいで──
「では………」
案内してくれた店員は布の入り口の裏に下がると、さっきまでのにぎやかな音をシャラランと響かせ、祐美が無意識に5つ数えたところでふっと消えてしまった。
「え?」
それはどう考えても、ふたりで歩いてきた距離ではありえない速さである。
入口とぴったり同じ大きさに合わせてある扉代わりの布は、まるでタペストリーのようにその後ろに空間を感じさせない。
だが、確かに祐美はあの壁の向こう側からずっと歩いてきたはずなのだ。
あの賑やかな音を立てていた店員だって、ずっとその音で導いて──
「あ、あの……あの、人は……」
「ふふふ……」
祐美のその質問には答えず、向かい側から手が伸びて、まるでその指に吸い寄せられるように、祐美の個人情報は相手に渡ってしまう。
「あっ……」
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