7 深夜のラーメンは危険です。

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 物は充分すぎるほど与えてもらえる家だった。なんでも、欲しいものは頼むと数日のうちに部屋に置かれていた。  それはとてもうらやましいことのように思えたけれど、違うんだと悟ったのはいつだっただろう。ただ与えられるだけでは、どんなに物が溢れようが楽しくも嬉しくもないのだと知ってから、何かを欲しいと思ったことはなかった。 「うーん……」  なのに、今、とても欲しいものがある。  あの人の指は特別なものなんだから、冷やしたらいけないだろ。だから手袋を。 「うー……」  犬みたいに唸りながら、ガラスケースの向こうを見つめる。  これなら、あの時のスウェットセットいらなかった。あとマグも。そしたら……いや、合わせても無理だったかも。  安いのじゃダメだろ。作家の指を守るための手袋が安い千円にも満たないヤツじゃさ。 「うーん」  俺がやだ。  やだって言っても金がない。金がないけど身分証もない。日払いのだって、そういうのいるだろ? 口座とかももう使えないし。そもそも、何度か取材とかテレビインタビューとか受けたことがあるから、極々稀に顔を知ってる人もいるかもしれないから、あんまり外は出歩きたくない。久瀬さんはほとんどテレビを見ないから、俺のことは知らなかったけど、そんな人ばっかりじゃないかもしれない。 「何か、お探しですか?」 「! あ、いえ」  あまりにへばりついて見すぎてた。店員が声をかけてきて、俺は、慌ててその場を離れた。  今日、久瀬さんは出版社に行くって言ってたから、帰りが遅い。だから時間とか気にしないで、ついブラついてしまった。  夕飯は先に済ませてくれって言われたけど。ラーメンとか、帰ってきてから食べたくなるかもって、長葱だけ買いに。  そしたら、ショッピングモールにはちょうど手ごろな手袋があるかもしれないって思った。だけど。  生まれて初めて欲しいものができたと思ったら、その欲しいものは手に入れられなさそうだ、なんてさ。  上手に物事っていうのは進まないようにできてるんだろう。冬が本格的になる前に、俺が、ここにいられるうちに、あの人に手袋をプレゼントしたいのに。あの人の指の価値に見合った手袋は、今の俺には高くて買えないなんて。
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