2 泥棒

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『全治、というのもその症状改善のレベルにはよるんです。貴方の場合、そうですね……』  主治医の無機質な説明を、俺はぼんやりと聞きながら、どこか、安心もしたんだ。悲しいとか恐怖とかの隙間で、ホッと、深呼吸するような自分がたしかにいた。  あぁ、これでオリンピックの選考からは確実に零れられるって。  あの家での俺の価値はこれでゼロになる。無価値になれば、もう追い立てられないだろう? 無関心になってくれる。あの人たちの考える「枠」の中からは除外されるって。  清々した。これで俺は自由だ。  けど、そう思ったら、急に、無性に会いたくなってしまった。  久瀬さんに会いたく、なっちゃったんだ。  会ってどーすんの? 向こうは俺のことなんて、これっぽっちも知らないんだ。それより、素性とか、色々知られたら、それこそ向けられるのはきっと憎悪なのに。なんで、会いたいとか思った?  会ってみたい、なんて。  拾って欲しい、だなんて。  図々しいにもほどがある。それこそ、兄さんが言っていた「あの女にそっくりだな」ってやつだ。母さんみたいに、玉の輿だと、怪訝な顔も、嫌味な物言いも全部かわして乗り込んだ図々しさが、ちゃんと遺伝子レベルでお前にも染み込んでるんだなって、嘲り笑われる。  それでも、あの黒猫みたいに、拾い上げて欲しいと願った。 『半年は生きたんだけどなぁ。拾ったんだよ。まぁ、その時相当弱ってたんだろうなぁ。まだ秋だっつうのに、その日は急に寒くて。俺が帰った時には冷たくなってた』  あの猫、死んじゃったのか。  可哀想に……と、久瀬さんが窓際に置いてあった黒猫の写真の脇、黄色の首輪を指で突付いた。  俺はそれをじっと見つめてた。写真立ての中にいる黒猫は俺が見た時よりもずっとふっくらと真ん丸な輪郭で、金色の瞳をまるで満月みたいに丸くさせていた。  その猫に代わりにしてくんねぇかな、なんてぼんやりと考えながら。 「おーい、大丈夫かぁ?」 「! は、はいっ!」 「なんの音もしねぇからぶっ倒れたのかと思った」 「あ、いえ! すんませんっ」 「いいよ。ちゃんとあったまれよ。着替えここに置いておくな」  久瀬さんのシルエットが曇りガラスの向こうで動いてた。
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