第1章

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△  夏は、遠い記憶だ。   真っ青な空に高い高い雲、焼けつく日の光。あんなとエースとの、パン屋さんでのバイト。腕が外れそうなほど投げまくった裏庭。そこではカイや、退院したエカキも参加して、ボール遊びやピクニックもした。ふざけてはしゃいで追いかけっこして、始終笑い転げていた。  なにもかもがきらきらし過ぎだった。  現実だったなんて、だんだん信じられなくなってくる。単に、あたしが頭の中でこしらえた幻想なんじゃないか。    今は、文句なく現実っぽい。  かしいだ傘をなんとか首とあごとでホールドしつつ、あたしはきゅうくつな暗い空を見上げる。  これ、あの時と同じ空なの? 同じ太陽の光なの?  九月の中盤から、雨の日が続いた。  雨きらい。傘の留めひもが目の前でぷらぷらうざいし、カバンは重いし、体操着は持って帰んなきゃいけないし、髪の毛はぼわぼわ広がって顔にちくちくあたるし、湿った制服のスカートがじめじめ重いし、靴先から水がしみて靴下がじっとり気持ち悪いし、泥のはねたふくらはぎはどんどん冷えていくし……それになにより、野球ができない。  こんなとき、カイのロシアンティ―があったらなあ。あのときはさんざんバカにしてからかったけど、今あの薔薇ジャムがほんのひとさじでもあったら、ずいぶん元気になるんだけど。  カイは都心の学校だし、あんなの学校も遠いし、なぜかエースにもこのごろはあんまり会えないし。  あ、そうそう、エカキとはよく会える。  彼は隣の三組だった。朝の集会とか図書室でたまに会うと、にこっと笑いかけてくれた。学校で見ると、色白の顔と薄茶の髪が際立ってかわいい。  エカキをかわいいと思うのはあたしだけじゃなくて、少なくない女子がそう思ってるらしい。なんかファンクラブ的な集団まであるみたい。  そこで、ひらめいてしまった。その人気を利用してやれ。  この悪だくみを、エカキは恥ずかしがりながらも引き受けてくれた。 あたしは、彼を女子野球部のマネージャーに任命したのだ。  すると効果てきめん、たちまち3人の入部希望者が現れた。  その子たちを連れて稲尾先生のところにいったら、あんなに動かなかった事態が急に動いた。稲尾先生が書類を整えてくれて、生徒会から「募集ポスターを貼ってもよろしい」というお達しが下ったのだ。
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