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「この女の命が惜しくば、大人しく我が手先となれ」
そのとき“彼”は、チンケな悪者が使いがちなテンプレ文を食らい、究極の選択を迫られていた。愛する女と世界とを秤にかけられてしまったのだ。
“彼”は魔王によって危機に瀕した世界を救う使命を負った勇者。姑息な魔王の手に落ち、必死に助けを求める恋人を見捨てて戦いを挑まなければならない。
当時、俺は“彼”を自由に動かせる唯一の人間だった。女でも世界でも、好きな方を選ばせてやれる立場にいたということだ。
それなのに俺は優柔不断で、どちらも選べないままその場を放り出した。だからあの勇者は今でも、つらい選択を前にして時を止めたきり。
思えば、この経験が俺の人格に多大すぎる影響を与えたのだ。やり直しのきかない場面で「2つに1つ」という決断を迫られないために、あらゆる手を尽くす用意周到さが小学生の時点で身に付いた。お陰で、俺は学業でも事業でも「成功者」の肩書きをほしいままにしてきた。
一流とされる高校、大学に進み、大学生の間にちょっとした株取引や投資で稼いだ小金でイベントプロデュース会社を興し、10年もしない内に業界を代表する企業と称されるまでに成長させた。
だが正直言って俺は会社をここまでデカくする気はなかった。ただ、普通の人間の半分の時間で、普通の人間の倍以上儲けて、後の時間をじっくりと趣味に使いたかっただけなのだ。
俺は小さい頃から“物語”が好きだった。本でもゲームでも映画でも、とにかくストーリーがある娯楽をこよなく愛し―――いつしかそれを生み出す側になることを夢見るようになった。
けれど俺は「下手の横好き」でしかなかったのだ。中学生の頃からちょこちょことネットの小説コンテストに応募し、出版社に企画を持ち込んだりもしていたが惨敗続き。佳作に選ばれれば上々だった。
経営者として評価されるようになってからはハウツー本ばかり書かされ―――そっちの方はすぐベストセラーになるのに素性を隠して小説を投稿すると見向きもされない。世の中、上手くできている。
「…だめだな。この前のとテイストが似すぎてて、ただの焼き直しにしか思えない」
ばさり。
俺が刷って持ってきた最新作の叩き台をカウンターに放り、すぐ左隣の男はチェイサーを一気に煽った。飲み始めて5分も経たない内に耳まで真っ赤だ。
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