「誕生秘話」

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「お前の本はさ、いつも押し付けがましいんだよ。読んでて胸焼けしてくる。『いいだろう?』、『すごいだろう?』って感情を強要されるから、どんどん読者は冷めるし、引くんだ」  容赦ない書評を宣うこの男―――分合 幸人(ぶんごう ゆきと)は年子の兄だ。40になったのをきっかけに仕事をややセーブし、また小説を書き始めた俺はこうして月1くらいでここ「BAR ハーミット」に兄貴を呼び出し、自作を読んでもらっている。もう1年くらいになるか。  大体がプロットでボツ、運良く執筆許可が出ても今回のように序章の段階で打ち切られてしまう。こっちが仕事の合間に死ぬ気で頭切り替えて書いていることなんて、これっぽっちも考慮してくれない。  筆者の感情なんてどうだっていい、読み手がどんな気持ちを抱くかは読み手の意思に任せろ。想像する余地を与えすぎず、また奪いすぎるな。  かつてとある小説コンテストで佳作に入ったとき、こんな選評をされたことがあるが、兄貴もそれと似たような指摘をよくしてくる。だから兄貴の目は確かだと思っているし、俺が正すべき点もわかっているつもり。  でも、文体や表現のクセはいわば「個性」。俺が小説を書くことの意義だ。そこを削ったり均したり、とにかく自分を殺して仕上げた作品が評価されても意味がない。  俺が欲しいのはこれ以上の「成功」じゃなく、「幸せ」だ。本当に好きなことで誰かに認めてもらいたい。一企業の代表取締役社長ではなく、小説家として大成することを目指してやってきたのだから。 「そんなに書籍化したいなら、いっそ本名でデビューしたらどうだ? 『分合 大成(ぶんごう たいせい)』の権力で、懇意にしてる出版社を経由して売れば」 「そんなことしたら誰も本の中身になんて注目しない」 「お前、意外とそういうところピュアだよな」  バーテンに目配せし、いつも通りにテキーラをショットガンで回してもらう。作品がボツになった以上、もう真面目に語らうことはない。  苛立ちに任せてグラスをカウンターに打ち付け、喉にぶち当てるようにして一挙に飲み干した。自棄酒となると途端に酔いが回る気がする。 「ホント、この年になって思うのはさ、『成功と幸せは別』ってことだよ」  空になったグラスと一緒に言葉を投げ転がせば、兄貴はぼんやりと虚空を仰いだ。その表情には苦しい笑みが広がっている。
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