重なる熱

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 肩を包んでいた手が千織の頭を撫でる。 「ネズミの食害を心配していたのだな。一人残してすまなかった、千織。寂しくはなかったか」 「大丈夫です、伽螺様」  千織は足さばきの練習をしながら待っていたので、少しも苦ではなかったと笑顔で伝えた。 「それは感心なことだ。日向も良い弟子を持ったと喜ぶだろう」  くしゃっと髪を撫でてから、再び将軍の手が肩に触れる。 「指月たちが待っているだろう。行こうか、千織」  *  指月たちと合流してから、千織はしばらく将軍と一緒にシヅマの街の検分について回った。  きびきびと兵士たちが動く姿を眺めているのは、とても楽しい。  アヤニナ通りは湧き湯のある入浴施設にも近いので、人が移住することを前提に整備が行われているらしい。  残された箪笥(たんす)や調度類はそのまま利用するようだ。  土間にある藁が運び出され、家々が兵士たちによって掃除されていく。  ことに、穀物などネズミの食糧となりそうなものは、徹底的に除かれているようだ。  食べ物を奪うことで、この後門真兄が仕掛ける殺鼠剤が、より効果を上げると指月たちと将軍は語り合っていた。  千織は将軍の邪魔をしないように、控えて様子を見守っていた。  色々なことで、人々は将軍の指示を仰いだ。  その一つ一つに的確に答えを出し、てきぱきと物事を捌いていく。  将軍は疲れを知らないかのように、人々の間を動き続けていた。    昼餉に一度館に戻ったが、再びアヤニナ通りの整備に将軍は赴く。  千織も許しを得て、将軍に同行した。  その日は結局、夕暮れまで将軍と一緒に野外で過ごしていた。    冬の陽が落ちるのは早い。  茜を帯びる空に、ねぐらに帰る鳥たちの群れが黒い影となって動いていく。  それを見上げながら、一日の疲れがふと押し寄せてくるのを千織は感じていた。  将軍をはじめ武将も兵士たちも、凄まじい体力の持ち主ばかりだった。千織ならとても一日中身を動かし続けることは出来ない。たくさん食事をするのもなるほど、と思うほどだった。  見習わなくては、と千織は心に呟いていた。  体はくたびれたが、一日中外で過ごせて、気持ちはとても晴れやかだった。  何よりも将軍の側にずっといることが出来た。アガツ国の兵士たちにも、何となく自分の存在を受け入れてもらっているようで、千織は幸せだった。  将軍と指月たちが最終確認を終えて、作業はそこで終わりとなったらしい。  館に戻ることとなり、千織は再び将軍と共に、愛馬の紫電の背に揺られることとなる。 「くたびれてはいないか、千織」  かつかつと蹄の音をさせて紫電が道を辿る中、将軍は問いかけてきた。 「大丈夫です」  千織は身を捻るようにして将軍を見上げると 「一日、とても楽しかったです」  と笑顔で告げた。 「そうか」  アガツ国の兵の働きで、街の雰囲気が変わっていくのが面白かった。  そう告げると、将軍の笑みが深まった。 「ゆくゆくここはアガツ国の前線基地となる。住みよい街となれば良いな」  遠い未来を見据えて呟く言葉に、なぜか胸が震えた。  領主の父もシヅマの民も、この国を捨てた。  それを将軍が拾い上げ、大切に扱ってくれている。  そのことが、無性に嬉しかった。
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