常とは違う理由

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「――いや、千織。何でもない」  不意にはぐらかすように、将軍が呟いた。  再び視線を千織に戻した時、将軍は微笑みを浮かべていた。 「今日は一日忙しかったな。さぞ眠たいだろう」  言いながら将軍が柔らかく髪を撫でる。 「せっかく湧き湯に入ったのに、身が冷えてしまったな」  笑みを深めて呟きが滴る。 「もう休もうか、千織」  そのまま身を起こそうとした将軍に、思わず千織は 「伽螺様……。続きを教えて下さらないのですか?」  と、小さな声で問いかけていた。  将軍が動きを止める。    アヤニナ通りで門真兄と偶然行き会った時。  被害の状況に耐えられないだろうと、自分だけが検分を許されなかったことを切なく思い出す。  仕方がないことだと解っていても、己の至らなさが辛かった。  今も、自分の力不足を慮って、将軍は教えることを諦めたのだろうか。  そう思うと、不意に泣きたいような気持になってくる。 「私では……教えて頂くことは、出来ないのですか?」  滲みそうになる涙を必死にこらえながら問いかけると、将軍の眼が大きく見開かれた。 「違う、千織。そうではない」  慌てて将軍は否定した。  起こしかけていた身を再び戻して、将軍が顔を寄せて呟く。 「――己の浅ましさに気付いて、言葉が続けられなかっただけだ」  己の浅ましさと、吐き捨てるように将軍が言を放った。 「時節が至るまで待つつもりだったのに、些細なことで忍耐が切れそうになった。実に愚かなことだ」  優しく将軍が笑う。 「千織のせいではない。俺が焦っただけだ。千織は何も悪くない」  朱鳥の羽根の温もりのある光が、将軍の眼の中に宿っていた。  微笑む目の中で、きれいに輝いている。 「今日は一日色々あったな。千織もくたびれているだろう。もう休もうか」
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