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交わし合う心の内
千織は、戸惑っていた。
長すぎる沈黙の中、将軍が何かを考えていることが手触りのように感じ取れる。
どうやら将軍が表情を消してしまうほど、自分はおかしなことを言ってしまったらしい。問う言葉を間違えてしまったのだろうかと、黙する将軍を前にして千織の胸が痛んだ。
昔。
母親がよく、感情のこもらない顔で自分を見ていたことを思い出す。
叱責でも嫌悪でもなく、ただ。
自分の存在を認めてくれない、きっぱりとした拒絶が母の眼の中にあった。
蘇った辛い記憶と将軍の表情が重なり、千織は急に不安に苛まれてしまった。
「――伽螺様」
名を呼ぶ。
この人は自分の大切な人だ。
そう確かめたくて懸命に発した声に、将軍が不意に表情を和ませた。
たったそれだけのことで、胸の奥の固いしこりがふっと溶けだしていった。
とたんに呼吸が楽になる。
そうなってから初めて千織は気付いた。
どうやら自分はずっと息を詰めてしまっていたらしい。
頬に触れる手が動いてから、詫びのような言葉が耳朶に触れる。
千織は驚いてしまった。
どうして伽螺様が謝られるのだろう?
目を丸くする千織に、将軍は優しく「真名を交わしていなくても、千織は俺の伴侶だ」と呟いた。
言葉の優しさと眼差しの深さに胸の奥が甘く痺れていく。
ふっと笑みを浮かべると、将軍は誓うように言葉を続けた。
「どんな運命が待ち受けていたとしても、俺が生涯伴侶と呼ぶのは千織だけだ。この世でたった一人」
笑みを深めて将軍が呟く。
「千織だけが俺の伴侶だ」
世界の全てが、将軍の微笑みで満たされる。
「世間の伴侶としての在り方をなぞる必要などなかったのだ。俺が千織を想い、千織が俺を慕ってくれる。その絆を信じ抜けばいいだけだ。俺たちだけの歩幅で、ゆっくりと歩んでいけばいい。たったそれだけのことに、ようやく俺は気付けた」
将軍の触れる手が温かだった。
「はるかな神話の時代。どんなに姿が変わっても、朝霞が叢雲を見出したように……お互いを想い合う心だけを信じて進んでいこう」
ふっと柔らかく目が細められた。
「俺は千織が何に姿を変えても、どこに行っても必ず千織にたどり着く」
いづくより湧き
いづくへと行く想いかと
問えど知らざる我が心
ただ一筋に君求め
人の通わぬ旅路征く――
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