12470人が本棚に入れています
本棚に追加
思いを告げた千織の髪に軽く唇で触れてから
「正月まで、あとひと月と少し」
と落ち着きを取り戻した声で、将軍が呟いた。
「アガツ国で宣旨を受けた後、時をおかず千織と仮祝言を上げたいと思っている」
仮祝言。
という初めて聞く言葉に、千織は目を丸くした。
「仮祝言、ですか?」
「ああ。シヅマの国でもそうだと思うが、祝言となるとそれまでの準備に相当の時を費やす。だが急な戦に参じる時など、十分な用意が出来ない。そんな折には簡略化して仮に祝言をあげ、後に正式な祝言を執り行うという方法が取られるのだ。便宜上行うこの祝言のことを、仮祝言と呼びならわしている」
将軍の言葉に、千織は目を瞬かせた。
「アガツ国に帰還する際、千織の同行を願い出てみようと思う。叶えば――正月の宣旨の後、すぐにでも仮祝言をあげることが出来る。仮とはいえ、祝言は祝言だ。そうなれば、千織を堂々と俺の伴侶だと公言できる」
言葉と共に将軍が腕を緩め、少し身を浮かした。
涙の滲む千織の顔を見つめると、
「そこから、ゆっくりと二人で歩んでいこう。俺たちの伴侶としての道をな」
と静かに呟いた。
「はい、伽螺様」
すんと鼻をすすりながら、千織は答えていた。
「仮祝言が楽しみです」
何とか笑おうとして、涙が目からこぼれ落ちる。
将軍が黙って顔を寄せ、目に浮く涙に唇で触れた。
両目に宿る滴を柔らかく吸い取ってから、その唇が千織の口に重ねられた。
触れる場所が、微かに塩辛い。
涙の味だ。
ふと千織は、海の水も塩辛いと教えてくれた将軍の言葉を思い出していた。
もしかして、涙は海と同じ味がするのだろうか?
柔らかく唇が触れ合い、味が薄れた頃、将軍が再び顔を浮かせた。
「俺は、誰にもどこにも指をさされることなく、堂々と千織を伴侶としたい」
真摯な眼差しで
「一時の感情に流されて、危うく千織に後ろめたい思いをさせるところだった。すまない」
と悔いが籠った言葉を呟いた。
意味が解らず瞬きをすると、再び将軍の唇が近づいて額に触れた。
「俺はもう少し、忍耐を鍛えるべきだな。将軍職に胡坐をかいて精神修養を怠ったつけが巡ってきたようだ。今後は千織が日向の稽古を受ける横で、素振りに勤しもう」
最初のコメントを投稿しよう!