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次の間に入り、上の衣を脱いで汗でしとどに濡れた晒を解く。
ねばつく汗の感触からも締め付ける晒からも自由になって、ふっと大きく千織は息をついてしまった。
嘆息しながら爽快感に浸っていると、将軍が側に歩み寄ってきた。
千織が脱衣に手間取っている間に、もうすでに将軍は準備を終えている。
いつもながらの早業だった。
将軍をお待たせしてはいけないと、気を引き締めて千織は一層手を早める。
懸命に脱いでいると、ひそやかな笑い声が聞こえた。
「そんなに慌てなくてもいいぞ、千織」
言いながら、千織が床に脱ぎ散らかした晒を拾い上げて、手元でくるくると巻き上げている。
「よく汗を吸っているな。しっかり稽古に励んだ証拠だ」
褒める口調に、千織の頬が赤くなった。
千織が稽古をつけてもらう間中、将軍はずっと素振りをしていたのに――見たところあまり汗をかいているように思えない。
日向もそうだった。
自分と同じように動いていたはずなのに、けろりとしていたのを千織は驚異の眼差しで見ていた。
もしかしたら、武芸は達人の域に入るとあまり汗をかかないのかもしれない。
そんな気がしてくる。
汗で衣をびしょびしょにするのは、素人の証拠なのだろうかとひそかに考えていたのだ。
「汗が出た分、湧き湯から上がったらしっかり水を飲んでおくとよいな」
「はい、伽螺様」
ようやく千織は衣を脱ぎ終え、胸に下げている幻獣の封印石から袋を外した。
将軍の眼が、じっと翠龍の石を見つめている。
「お待たせいたしました」
千織が声をかけると、はっと将軍は視線を上げた。
一瞬の沈黙のあと、
「汗でべたつくだろう。先に身を洗ってから湯船に浸かろうか」
と将軍は優しい声で告げる。
「はい」
千織は大きくうなずいた。
「伽螺様のお背中を洗わせて頂きます。お任せください」
*
湯殿は暖かかった。
立ち込める湯気が肌にさらりと柔らかく触れる。
背中を流す、と意気込む千織に、将軍は少し躊躇したようだが、結局折れてくれた。
腰掛に座りこちらに向けられた大きな背に目を向けながら、千織は洗い粉の白い塊を布に磨りつけて心を込めて泡立てていた。
もうすっかり慣れた作業だ。
将軍の背中は大きく、いくつにも筋が割れていて、逞しかった。
自分の薄いひ弱な背中に比べると、本当に立派だ。
黙々と重い真剣を振り続けていた姿を思い浮かべる。
いつか――自分も稽古を積んだら、こんな背中になれるだろうか。
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