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触れる大きな背中からも、力強い言葉が伝わってくる。
――涓滴岩を穿つ
将軍から教えてもらった言葉が、じんと心を打った。
小さな努力でも続けていればいつか、岩に穴を空けるほどの成果を上げる。
そう教えてくれているのだ。
「は、はい、伽螺様。お言葉、心に刻みます」
感動のあまり、上ずりそうになる声で千織は答えていた。
「なりたい自分があるのは善きことだ。強くなりたいと願えば、いつしかそうなれる」
将軍が笑顔を向けてくれた。
「大丈夫だ、千織。焦ることはない」
「ありがとうございます、伽螺様。おっしゃる通り、焦らずたゆまず努力を続けます」
「そうだ、千織」
ふっと笑みが深まる。
「それに、千織は正式に稽古を受けてまだ一日しか経っていない。それで肩を並べるようになってもらっては、俺の立つ瀬がなくなるというものだ」
将軍の言い方に、笑いが込み上げてくる。
どれだけ稽古を重ねたらいいのだろうと、途方に暮れていた気持ちが、晴れ晴れとしてきた。
「先ほどは申し訳ありませんでした。お背中をしっかりと洗います」
詫びを再び告げてから、気持ちも明るく千織は大きな将軍の背の隅々までを、せっせと洗う。
手を動かしながら、
「伽螺様は、幼いころから修練を重ねてこられたのですか?」
と何気なく問いかけた言葉に、将軍は口の端に笑いを乗せた。
「そうだな」
言ってから、ふっと言葉が途切れた。
しばらくしてから、こちらに視線を向けぬままに将軍が呟く。
「俺は黒龍の主として生を享けた。戦うことが俺の宿命だと幼いころから言われてきたから――何の疑いもなく剣技の教えを受けてきた。
それだけのことだ」
口調は優しげなのに、籠る音調にどことなく冷たさがあり、千織の胸がどきんと躍った。何か、いけないことを訊いてしまったのかもしれない。そんな気がした。
少しどきどきしながら背を洗い終える。
千織は気持ちを切り替え、場所を動いて将軍の前に回った。
「腕を洗わせて頂きます」
先ほどの口調は聞き間違いだったのだろうかと思うほど、明るい笑顔で将軍が腕を託してくれる。
改めて見ると将軍の腕はとても太く、千織の倍ほどある。丁寧に布でぬぐいながらも感嘆が止まなかった。
鉄の刀を淀みなく振り続けるのには、これだけの強さが必要なのだ。
「私も――」
見惚れるままに、ごしごしと泡を乗せた布を動かしながら千織は呟いていた。
「生まれた時から翠龍の主だったら、伽螺様のようにもっと強くなっていたのでしょうか」
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