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その日の夜。
私は職員室で明日のレクレーションで使う道具を作っていた。同僚はもたもた作っている私を差し置いて、さっさっとノルマを果たして帰ってしまった。こういう仕事を選んだだけあって、手先は器用な方なのだけれど、手際の良さと状況に即したすばやい判断力という点では先輩の足元にも及ばない。毎回のサービス残業だけど、気分は悪くない。この入念な仕込があってはじめてみんなが楽しんでくれるのだ。
仕事がひと段落したので、眺めていた黒曜石を置いてトイレへ行った。
入院患者にとってこの病院はとにかく暇なところらしい。私たちもできる限りレクレーションを充実させる。そのレクレーションの内容を辛口批判する患者さんもいることにはいるが、大概みんな楽しんでくれる。すべてはあの笑顔のためだ。シンプルだけど私の仕事のやりがいはそこにある。
トイレを済ませ手を洗っていると廊下に見かけない女の子が佇んでいる。ピンクのパジャマを着て泣きじゃくっている。私はいささか驚いた。
「どうしたの?迷子になっちゃったの?」
彼女は手の甲と腕で涙を拭いながら、私を無視してとぼとぼ歩き出す。廊下は電灯の光で淡い青色に包まれている。彼女のすすり泣く声がこだまする。やはり彼女を一人にするわけにはいかない。もう一度声をかけようと彼女の後をついて行く。前を歩く彼女の髪。きれいだ。殊更手を加える様子でないロングの髪の毛。彼女が一歩進むごとにしなやかに弾ける。
だけどおかしい。いくら彼女の後をついていっても届かない。私は半ば駆けているのに。彼女のすすり泣く声はいつの間にか笑い声になっている。廊下に映る自分の影を見る。しかし彼女の影が無い。はたと我に返った。私は足を止めた。
風が頬をなでる。廊下の先にはご丁寧に外への扉が開かれている。目の前には星空と街の景色。その先には女の子がいたずらっぽい笑顔でこちらを見ている。
「どうしてこっちに来てくれないの?」
直感的に見てはいけないものを見てしまったと悟った。思ったときには体はピクリとも動かない。それどころか足にはあのしなやかな黒髪が巻きついている。
「こっちにおいでよ。お姉ちゃん。みんな待ってるよ」
ゆっくり霧状の闇が女の子の周りを覆い始めた。霧の中には仮面のように精気の無い顔がそこかしこに点在していてこちらをじっと眺めている。
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