今は遥かの叶え唄

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 小説家を夢見ている少年が居た。何処にでも居るような、ごくごく平凡な高校生だ。  この少年は、とある小説投稿サイトで大人気のアマチュア作家──鈴樹与一に、強い憧れを抱いていた。  少年のHNはtight、本名は畠本帯人。十六歳の、地毛はほんのり茶髪。地味で、あまり目立つことはない男子生徒だった。  鈴樹与一は、その手の小説投稿サイトでは、大人気の作家だった。閲覧数は常に数百を突破し、ファンからの熱いレビューもひっきりなしに来ている。手掛けているジャンルが広いことも、人気の一つだろう。胸が踊る様な恋物語から、息を飲む様なRPG系やファンタジー、ほっこりと気持ちが落ち着く日常物。出版社主催の応募にもいくつかエントリーをしていて、受賞も受けている常連だ。与一は、誰がどう見ても天才だった。出版社側からは声だって掛かっているだろう。未だ作家デビューの知らせは無いが、そう遠くない内に、彼女、あるいは彼は、世間への扉を開けるに違いない。  帯人と言えば、与一のファンの一人に過ぎなかった。与一の様な人気のアマチュア作家になりたいと、いつかはプロになりたいと、毎日必死で小説を書いている。実際には、サイトに打ち込んでいる、が正しい。  そして、色んな本を読む。新たな感動に出会って自分の心を動かしたり、プロの書く小説から文の構成を学んだり、とにかくそちらの勉強に勤しんでいる。日頃のテストの点は芳しくないが、国語だけは得意だった。  そんな、ある高校三年生のことだった。帯人の運命が、小説人生が、大きく揺らぐ事件が起きる。  それは夏休み中。  帯人はいつもの様に学校の図書室へ足を運び、クーラーを入れ、お気に入りの窓際の席へ、沢山の本を抱えて座った。スクールバッグを隣の椅子に置き、ハンカチで汗を拭う。  大学受験が控えている今、趣味にうつつを抜かしている暇は無い。だが、受験勉強の合間を縫った、たったこの二、三時間だけは、彼にとっては譲れないものだった。丁度、夏休み期間中は図書室を利用する者も居ない。彼だけの、彼しか居ない空間は、小説に没頭するにはとっておきの場所だった。  いつもの様に。夏休みは、一年生の頃から今日までずっとそうしてきた様に、ノートを取り出し、ボールペンを手に取り、小説に関する独自の勉強を始めようとした、時だった。  誰かが一人、図書室へ入って来た。女子生徒のようだ。
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