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その日桐野は、午前中の診療が長引いて、午後に予定されていた簡単なオペまでの空き時間が取れず、やっと食べるものにありつけそうな時間が取れたのは、売店が閉まるギリギリの夕刻だった。
彼は急いで売店に駆け込んだが、閉店間際のガラガラの棚に残っていたのは、あまり好きではない梅のおにぎりと赤飯のおにぎりだけだった。
米は諦めてカップ麺かパンでも買うか…と振り返ったとき。
「わあ!」
小さな悲鳴とともに、軽い衝撃がある。
誰かにぶつかってしまったのだ。
「失礼、大丈夫ですか?」
反動で尻餅をついてしまったらしい相手に手を差し伸べる。
顔を上げたそのひとは、病衣を着ていた。入院患者か。
「すみません、こちらこそ不注意で」
細い手だな、と桐野は思った。
そして、驚くほど軽い。
立ち上がったひとは20代半ばぐらいだろうか、どこか儚げな顔立ちが印象的な、ほっそりとした青年だった。
顔色があまりよくない。
入院しているんだから、それもそうか。
そのひとは、もう一度ぺこりと頭を下げた。
そして、ふわりと笑った。
花が綻ぶような、というのは、こういう笑顔をいうのかもしれない。
その笑顔に惹き込まれ、思わず桐野は口を開いた。「病室まで送ります…どこか打ってしまっているといけない」
そのひとはびっくりしたような顔になった。
そりゃそうだろう、これじゃあまるで、ナンパだ。
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