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それから、桐野は、暇を見つけては宮原の病室にたびたび通うようになっていた。
宮原の同室の患者たちからは「若先生は宮原さんにお熱だな」「お、今日も若先生の宮原詣でか」なんてからかわれて、桐野はそれらに冗談ぽく言い返す。
「そうですよ、私は宮原さんに首ったけなんです」
宮原は、そんなやり取りをいつも、あの花が綻ぶような笑顔で見つめていて。
桐野が誘えば、中庭までの散歩にも付き合ってくれるし、売店での小さな買い物を一緒にしたり、本来患者は立ち入り禁止の屋上で空を見上げたり。
まるで院内をデートしているかのように。
そんな短い逢瀬を繰り返して、彼は、中庭のベンチに並んで座ると、その白い細い手を桐野に預けてくれるようになった。
桐野が最も時間を取りやすいのが、その夕闇に染まっていく時間だったから、そのひとの仄白い顔も、そのときばかりは落ちていく夕陽に染まって、薔薇色に見えて。
「父も、短命だったので」
宮原はそう言って、桐野に預けている手を少し震わせた。
「なんとなく、覚悟はしていたんです」
その頃にはもう、彼は自分の病名を知っていた。
あとどのくらい生きられるのか、という統計上の数字も。
だけど、桐野に助けてと縋るわけでもなく、ただその細い肩を震わせて小さく「ただ、やっぱり少し、怖いんです」と囁くだけで。
桐野は、その細い手を強く握ってあげることしかできない自分に、酷い無力感を覚えていた。
自分は、医者なのに。
名医だなんだと持ち上げられても、目の前の細い肩の震え一つ止めてあげることができない。
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