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   まだその民家は、甘ったるい匂いがした。  いちじく(一熟)のような、匂いだった。  心中事件のおきた木造二階建てを、夏目塔ノ介(なつめとうのすけ)は車内からじっと見た。表札はこの前確かめた。「白野(しらの)」だ。  質屋のある通りにオレオのように倒れかかり、情交中の男女みたいにのしのし荒んでいた。そして、なぜか、町中に、甘い匂いを漂わせていた。  路上駐車していた車のハンドルを握り、時計屋から軒の低い煙草屋の前までゆっくり進んだ。十一年前に買ったサビだらけの軽自動車を停め、ダッシュボードからペンをとった。そして暗闇の中から、ずっとまたしつこく見た。 「おや」  と、鮫色のアスファルトを見る。
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