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   心を茫漠とさせていると相手は、 「もう帰ってテレビをみます」  と言った。  夏目は自分がいやしいほどその幽霊を見つめていることを自覚し顔を赤らめた。  相手はやわらかいにおいを零し、とん、とドアを閉める。  出ていって暫くしても、夏目はハンドルを握りしめながら後ろ姿を眺めた。  湿って砕けて腐れて、密林状態になった自身の殺害現場。  そこが彼女の唯一の棲み処。寝床。帰る場所。  皺くちゃズボンに無頓着に結わえた髪と小柄な背中を見て、苦しくなった。  ”その一熟のにおいのする塒(ねぐら)に戻ってしまうと、あなたはもう僕の世界から消えてしまうのではないか。  憎しみを知らず、ひとりで熟する、誰をも必要としない生態なのだから”  と、心のなかで訴えたあと、夏目は思わず叫ぶように呼び掛けていた。  
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