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しばらく経った頃、
「冬になあ、山頂の火口の歩道工事を手伝ってほしいんだ」
と無職のころに世話になった西城社長から電話があった。
「山頂の工事?」
「ああ、丁度ブリザードが吹く季節なんで、命の保証はしないけんどな。日当はそこそこ出せるよ。だいいち、漢方屋は安月給なんだろ?」
夏目は黙った。
自分は父親と疎遠だったから、西城社長がそれに近いとどこかで思っていた。だが社長のほうはと云えば、とことん安い賃金で夏目をこきつかい、マージンをがっぽり懐に入れているのも知っていた。
彼はじわじわとした蝉の声が、緑色の畳に染みこむのを眺めながら考えた。社長は人手が足りなくていつも困っているのだよな、としんみりする。生クリームのついたスプーンを咥え携帯電話を持ち替えたあと、わかった、ともごもごと承諾し、電話を切った。
ごとり。
「!」
突然、音がしたので、アパートの郵便受けを覗く。手を突っこんで配達物を見たとたんスプーンを口から落とした。
「返事だ」
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