金太郎いじめ

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 こうして定信が長恵(ながしげ)に成り代わって、鎮衛(やすもり)に一矢(いっし)報(むく)いてやると本題である評定に移った。すなわち棄捐令(きえんれい)につき、幕府の政治顧問である溜之間(たまりのま)詰の諸侯にも説明し、また、町奉行の長恵(ながしげ)や勘定奉行の鎮衛(やすもり)といった実務レベルの官僚にも質疑応答があり、長恵(ながしげ)も鎮衛(やすもり)も元より異論はなく、賛成である旨、答えると、溜之間(たまりのま)の諸侯もうなずき、こうして棄捐令(きえんれい)は溜之間(たまりのま)の諸侯の了承を得た。  黒書院の溜之間(たまりのま)にての評定を終えると、定信を始めとする老中方は上御用部屋へと戻り、そして長恵(ながしげ)と鎮衛(やすもり)らは中之間へと向かった。本来、町奉行や勘定奉行といった御役の殿中席は芙蓉之間(ふようのま)であり、それゆえ芙蓉之間(ふようのま)に戻らねばならないところ、間もなく昼ということもあり、中之間へと向かったのである。何ゆえ中之間に向かったのかというと、昼になると老中が江戸城内の各部屋を見廻る、その名の通り、「廻り」なる大学医学部の教授の総回診よろしく、そのような行事があり、それに備えてのことである。それというのも、「廻り」の際には芙蓉之間(ふようのま)を殿中席とする者のうち、寺社奉行と奏者番(そうじゃばん)を除いて、留守居(るすい)や大目付、町奉行や勘定奉行らは皆、中之間にて老中を出迎えるしきたりであり、それゆえ昼前になると彼ら、留守居(るすい)や大目付、町奉行や勘定奉行らは寺社奉行と奏者番(そうじゃばん)を残して、芙蓉之間(ふようのま)から中之間に移動しなければならず、今はもう昼前ということもあり、芙蓉之間(ふようのま)には向かわず、直に中之間に向かうことにしたのだ。  長恵(ながしげ)は何とも気まずい思いをしながら中之間へと向かう羽目となった。そこには鎮衛(やすもり)の姿もあったからだ。いじめられっ子にとっていじめっ子との道中ほど辛いものはない。  するとそんな長恵(ながしげ)を救うかのように、「池田殿」と一際(ひときわ)、大きい声で呼ぶ声が聞こえた。誰あろう、鎮衛(やすもり)とは相役(あいやく)…、同僚である公事方勘定奉行の曲淵(まがりぶち)甲斐守(かいのかみ)景漸(かげつぐ)である。
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