金太郎いじめ

6/9
前へ
/23ページ
次へ
 景漸(かげつぐ)はかつては江戸北町奉行であったが天明の大飢饉の折、その不手際の責を問われて西之丸の留守居(るすい)という、ここ本丸の留守居(るすい)よりも更なる閑職へと左遷させられたものの、大飢饉までは大過なく激務である町奉行職を務めていただけに能力は高く、間もなくして公事方勘定奉行として復活を遂げたのである。  景漸(かげつぐ)はどこか陰気な鎮衛(やすもり)とは違い、明朗快活な男であり…、定信もそこが気に入ったのであろう…、誰に対しても屈託のない素直な態度で接するのが常であり、今もまた同じく長恵(ながしげ)に対して接したのだ。 「ああ、これは曲淵(まがりぶち)殿…」  景漸(かげつぐ)に声をかけられた長恵(ながしげ)は救われた思いで、その場で立ち止まると声の主たる景漸(かげつぐ)と向かい合うと、会釈(えしゃく)した。すると景漸(かげつぐ)も会釈(えしゃく)を返した。景漸(かげつぐ)もまた、公事方勘定奉行として今の評定に出席しており、そして長恵(ながしげ)や鎮衛(やすもり)と同じく、棄捐令(きえんれい)に賛成したのであった。  長恵(ながしげ)は鎮衛(やすもり)の元から離れて景漸(かげつぐ)と並んで歩き、鎮衛(やすもり)を無視するようにして雑談に興じながら中之間へと向かった。その間、鎮衛(やすもり)は一人、先頭きって中之間へと足早(あしばや)に向かった。  中之間には既に、非番である北町奉行の初鹿野(はじかの)信興(のぶおき)と、それに勝手方勘定奉行の久世(くぜ)丹後守(たんごのかみ)広民(ひろたみ)と、その相役(あいやく)の柳生(やぎゅう)主膳正(しゅぜんのかみ)久通(ひさみち)の姿があった。非番である北の町奉行である信興(のぶおき)も、老中による「廻り」が始まるまでには御城に登城し、ここ中之間にて老中を出迎えなければならなかった。そして勝手方勘定奉行は二人のうち一人が老中や町奉行よりも早い、朝五つ…、午前8時までに江戸城本城の外、三ノ丸とは目と鼻の先にある下勘定所に出勤して、そこで勘定吟味役や勘定組頭と仕事に関する打ち合わせを行い、その結果を携えて、ここ本城内にある御殿勘定所へと持ち帰り、そして午前9時に出勤するもう一人…、相役(あいやく)の勝手方勘定奉行に伝え、そしてそれから昼前までこの御殿勘定所で仕事をする、というのがルーティンであった。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加