Chapter 2 「誘引《ゆういん》」

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 足の熱さと霧と風の冷たさを感じながら、僕は音と対峙(たいじ)していた。だが、姿は見えない。代わりに今まで気がつかなかった"巨大な影"が床に落ちていた。  ――この影が、空を切り裂く音の正体なのか。  僕の周りを旋回する音を聞きながら、ゆっくり目を伏せた。自殺行為だと思うかもしれない。実際僕もそう思う。……だが鈴の音が、あの柔らかな声がそうする様に誘導していたのだ。  疑いもせず素直に従う。抗う理由も無かった。  何故か、この声は僕を助けてくれる気がした。  ――ヒュ……ヒュウ……、ビュッ!!  激しい空気の振動が波紋の様に肌を刺す。  凄まじい突風が僕に向かってくる――。  目を開くと、霧の中に大きな双眸が見えた。  ――深い哀れみの色。  慈悲か、憐憫(れんびん)か、歓喜か――。獣の様な鋭い瞳孔が僕を捉えていた。  それを見た瞬間、僕の心に恐怖の波紋が一気に広がった。 『まだ開いては駄目。もう一度閉じて。お願い、信じて――』  ――チリンッ……チリリ……。  言われるがままに再び目を閉じた。  (まぶた)の裏は静かな夜。ガラス玉の何も映さないはずの目が、白磁器の如く透き通る足を捉えた。  今にも消えそうなその足は、所々擦り傷が出来ていて紅い血が滲んでいた。その細さと造形から、女性のものだ。  裸足で闇に立つ"その人"からは、微かに温かい太陽の匂いがした。 「……君、は」  (ようや)く発する事が出来た声は、酷く掠れていた。久々に声帯を動かした様な感覚に、思わず喉を押さえた。  すると、その足が僕の方に向かって来た。  チリリと鈴の音と共に、ゆっくり、ゆっくり……。時間が止まっているのか、あの音の衝撃はまだ来ない。  震える空気も、肺に染み渡る冷気も、全てがピタリと止まっていた。 「……っ」  頑張って喉仏を動かそうと試みるが、息が漏れるだけで音にはならなかった。 『貴方の本能とリンクさせてもらっているの。ごめんなさい、勝手に意識に入り込んで』  何を言っているのか分からない。リンク?意識?そもそも君は一体誰なんだ。 『でも、貴方は他の鳥達と違う。だからこうして私の声無き声が届いた。これもきっと奇跡……必然だと思う』  匂いがすぐ側まで来ている。  しかし、肝心の顔は全く見えない。上半身は暗闇に隠れて見えず、擦り切れた純白のワンピースの裾が、ふわりと揺れているだけだった。  そのワンピースの裾には、コーヒーを零した様な染みが広がっている。それは恐らく僕のパーカーに染みた生の証と同じものだろう。 「……っ、どう、して」  どうにかして凝り固まった声帯を動かす。その度に喉に鋭い痛みが走るが、問わずにはいられなかった。 『……私は貴方の味方。前にここへ来た可愛い鳥は駄目だったけど、貴方には(くつがえ)す力がある。だから、それに賭けてみる事にしたの。大丈夫、信じて――』  彼女の強い意志を感じて、僕はゆっくり頷いた。  途端に、あの優しい匂いが強くなった。 『……目を。今すぐ、目を開いて――!』  ――チリンッ……チリ……!  声に導かれる様に僕は思い切り目を開いた。
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