Chapter 3 「思惑《おもわく》」

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「ずっとこのままで良い訳が無い。そんなの、皆分かってる」  距離が近くなると共に、声の語気が強くなっていく。 「……小鳥遊は、怖くないの?」 「怖いよ。でも、誰かが動かないと何も変わらない。今回は助かったから良いけど、次に誘われたら、今度は本当に死ぬかもしれないよ」  小鳥遊が座っていた椅子よりも近い距離。  ついに彼女は僕がいるベッドに手を付いて、強い意志を持った瞳で囁いた。 「ありがとう、鳳君」 「え?」  お礼を言われる様な事はしていない。(むし)ろ助けてもらった僕の方が感謝しきれない程だ。 「貴方が生還した事が、私に一縷(いちる)の望みを与えてくれた。理不尽な死の宿命から逃れられると言う事を教えてくれた。だから……ありがとう」  ――共犯者。僕達はきっとそういう関係。  秘密を共有する様な――背徳感と優越感の二律背反(にりつはいはん)。 「僕の方こそありがとう。救急車を呼んでくれて、何より天葬の事を教えてくれて。他言無用ルールで、君こそ(とが)められるかもしれないのに」  小鳥遊は僕から離れると柔らかく微笑んだ。 「私が言われるのは構わない。それに、元々こんなだから今更何言われても気にしない」 「そんな事……!」  小鳥遊はふっと息を漏らした。 「それより、鳳君の方が大変かもね」 「そうかな?でも、前より思考はクリアになった気がするよ」  小鳥遊は首を振った。 「……学校で私と話さない方が良いよ。ルールを破った事なんて、こんな小さな町じゃ、すぐに皆の耳に入る。元より気まぐれでしか登校してないから、私の事を(けむ)たがる人の方がほとんど」  学校独特のコミュニティが面倒臭いと言いたげだった。実際、僕もそう思う時がある。  人と違う事をすれば、村八分の扱いを受ける。この閉鎖的な組織では、順応する事を第一優先にしなければならない。  残念だが、どんなに機器は進化しても、学校は古い伝統と思考で縛られているのだ。 「大丈夫だ、小鳥遊」  自分でも驚く程、力強い声だった。 「僕は小鳥遊をちゃんと見ているから」  こんな恥ずかしい事、人生で初めてだ。こんな清々しい気持ちも、人生で初めてだ。 「ふっ……またね、鳳君」  小鳥遊はこの部屋唯一のシンプルな壁掛け時計を一瞥(いちべつ)して、ミニテーブルの側に置いていたボストンタイプのスクールバッグを肩に掛けた。  僕も釣られて時計を確認すると、時刻は夜の七時半を過ぎていた。  小鳥遊は病室の扉をゆっくり開くと、去り際に僕の方を振り返って真剣な眼差(まなざ)しを向けて言った。 「これからもよろしくね、鳳君――」  小さな唇から発せられた柔らかな声色は、夕霧町で聞いたあの声に似ていた――。  扉が閉まったと同時に、僕は目を閉じた。張り詰めていた糸が一気に緩む。今日の小鳥遊の話は十分過ぎる収穫だった。  ――朝霧町の宿命。  どうしようも無い事だと言うが、僕は素直に納得する事は出来なかった。小鳥遊も僕と同じ気持ちをずっと抱いていて、(ゆえ)にルールを破ってまで僕に話してくれたのではないか。 「……まさか、こんな事になるなんてな」  誰もいない静寂の中、僕の小さな声が部屋中に反響して(むな)しく消えた。  まだ、これで終わりでは無い――。  僕は(まぶた)の裏側に映る、遠い夕霧町の景色を眺めながら、深い眠りに落ちた。
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