Chapter 1 「嚆矢《こうし》」

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 街頭の無い誰もいない道。  ……この先に続く話の展開が"そうであって欲しく無い"と願う。 「親御さんは迎えに来てくれないの?」 「……確かご両親は隣町の企業に勤めていて、帰宅時間が遅いそうよ。だから帰りはいつも一人。彼女、真面目だったからその日も寄り道をせずいつもと同じ通学路を歩いていた」 「いつもの道ってどうして分かったの?」 「……偶然、マンションの防犯カメラにね。私は見てないけどアトリが一人で歩いている姿が映っていたんだって。自宅の近くらしいから間違いないそうよ。そして――夜も深まる午後十時、親御さんが帰宅したの」  話す事に疲れたのか、小鳥遊は短く息を吐いた。少し俯向(うつむ)いたのは僕に察して欲しいから?  でも、彼女の口から直接聞きたかった。 「……敢えて聞こうか」  少し語気を強めてワントーン声を落とす。  察したのか否か、小鳥遊は顔を上げて真っ直ぐ僕を見据えた。  その瞳に真剣な顔をした僕が映る。右側だけやや長めの前髪。隙間から射抜く様に覗く透き通った右目が小鳥遊を見つめている。 「"どうして帰って来なかったの?"」 「それは――」  一秒未満の(まばた)きさえ許されない緊迫感。秒針の音も互いの静かな呼吸も聞こえない。  ただ彼女の震える唇の動きだけを注視(ちゅうし)した。 「消えてしまったの――跡形も無く、悲鳴さえ飲み込んで」 「……」  知っていた。知っていたけど――。  まさか夜の神隠し――あり得ない。これは現実であって夢物語では無い。僕は真っ先に浮かんだ非現実的な現象をかき消した。  今の話から推測するに、"現実的な現象"を考慮すれば誘拐された可能性が高い。一人も歩いていない田舎道なら誰にも見つからず、容易(ようい)に犯行に及ぶ事ができるだろう。  果たしてそうだろうか――?町を覆う異様な程冷たい霧は仮に非現実な現象を起こしても何ら不思議では無い。(むし)ろその為の霧にすら思えた。 「……それからどうなったの?目撃者がいないなら厳しいよね。当然通学路沿いに住む人達は調べ尽くしただろうし」  結末なんて既に分かっているくせに僕は小鳥遊を急かした。夜の町で起きた行方不明事件。そしてあの供花(くげ)……。  線と線を辿る必要すら無かった。紅い糸の始まりと終わりは最初から繋がっていた。  適切な言葉を選ぶ為の沈黙。小鳥遊はややあって息を深く吸い込んだ。背筋を伸ばし()り固まった肩や背中をほぐす様な仕草をしたと思ったら、その大きな黒目をゆっくり(まばた)きさせて、 「……翌朝、見つかったの。――両目をくり抜かれた無残な死体となって」  容易に想像がついた。容易に想像したく無かった。空っぽの眼窩(がんか)から溢れ出る闇から(すく)い取ったヘドロの様な赤黒い血が――。  僕は胃からせり上がる何かを必死で抑えた。息が苦しい。深呼吸をしたらこの(ほこり)(ちり)が混じった妙に冷たい空気が、僕の体内をじわりじわりと凍りつかせる気がした。
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