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「……あれ?」
つい先程まで線路の柵辺りに立っていた筈の子供はいなくなっていた。
見間違いだろうか?
まぁ、この濃霧では幻覚だとしても不思議ではないな。町はまるでホラー小説に出てきそうな陰鬱とした雰囲気が漂っていた。頭の片隅で最近読んだホラー小説を思い出しつつ、先を歩く父さんを追って新居へ向かった。
朝霧駅周辺には寂れてはいるが、精肉店や青果店など生活に必要なお店は揃っていた。眼科、内科、パチスロ、ゲームセンター、個人経営のおもちゃ屋……。どれもレトロな外観をしていてタイムスリップした様な気分になった。
東京より娯楽が少ない分、夜でも煌々と輝くビビッドカラーのネオンを見なくても済むのは有り難い。
夜は夜らしく闇であって欲しいと思うから――。
***
駅前の風景は本当に幻覚だったんじゃないか。
新居の方まで来ると全く人気が無く、住居すらあまり無い。本来なら人と車を制御するシンボルである信号など無意味で、誰も通らないし車も来ない。
役目を果たせず寂しげな色を律儀に点滅させ、鮮やかな三色の光が霧を照らしていた。
途中で大きな交差点に出るも同様だった。朝とはいえ時間的には九時過ぎ。通学、通勤時間のピークは過ぎているがそれにしても誰もいない。
「もうすぐだぞ」
急に目の前を歩く父さんが振り返るものだから僕は酷く驚いてしまった。
怪訝な顔をする父さんを見て、僕は何だか恥ずかしくなって適当に相槌を打って誤魔化した。
左右に並ぶ似たような新興住宅地を抜け、この町に似つかわしくないニ十階はあろうマンションのエントランスで立ち止まった。
「ここの十三階だ」
「随分高いところにしたね。下、空いてなかったの?」
「すまんな。本当はせめて十階より下にしたかったんだが……そういう事だ」
「へぇ……なかなか辺鄙な田舎だと思うけど、結構入居してるんだ」
話しながら豪奢なエントランスホールに入る。天井から吊り下げられた煌めくシャンデリア、触り心地の良さそうな上質なソファとガラステーブル。
ここは何処の城だと思う程やたら豪華で落ち着かない。
四台もあるエレベーターの一つに乗って、車椅子用の大きな鏡を見つつ軽快な音と共に洗練された白い廊下に出た。
「十三号室だ。覚えとけよ」
「自分の家の部屋番号くらい分かるよ」
父さんは素早く番号を入力してオートロック式の重厚そうなドアをガチャリと開けた――。
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