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「とにかく、浅見さんの件は殺人鬼とか事件じゃ無いんだ。言わば不可抗力なんだよ。……勿論、それで人が亡くなるのは悲しい事だけど、ね」
スミスミが双木を横目で見た。
当の彼女はびくりと震え、唇をきゅっと結んだ。悔しいとでも言いたげに。
「……出会ってから一年も経ってませんでしたが、私にとっては忘れられない人です。浅見先輩の旋律が今でも、頭の中でリフレインするんです。あの笑顔が、凛とした声が……っ」
「……誰も悪くないんだ。これは」
とうとう涙を零した双木の背中をスミスミが擦る。簡素なパイプ椅子がキシリと鳴った。
双木の反応が引っ掛かる。
誰も悪くないとスミスミは言った。でもあの悔しがり方を見るとどうにか出来た可能性があるように思えたからだ。
目を閉じて顎に手を当て、じっくり頭の中で思考を広げる。これまで聞いた話の断片を合わせようとしても、どうしても足りない。
重要なピースが欠けていた。
恐らくそれはこの人達が隠したがっている事実だ。
「ごめんなさい。鷲見先輩から話を聞いた時から分かってはいたんです。あの記憶を呼び覚ます事になると。それでも私は鳳先輩に伝えないといけない事があると。なのに、ごめんなさい」
涙を拭いながら、双木は僕を見た。
彼女のレースのハンカチは涙で染まっている。
「いや、いいんだ。僕の方こそごめん。大切な人が亡くなった事実なんて思い出したくないだろうから……。十分だよ。御鳥様の話が聞けただけでも。ありがとう」
これ以上追求する気にはなれなかった。
「本当に、ごめんなさい……。ちょっと、予想外に……」
思い出しても平気だと思ったのだろうが、双木の心はそれに耐えられなかった。僕も同じだ。
「落ち着いたら戻ろうか?そろそろ撤収の時間だろうし」
スミスミはちらりと左手首に視線を落とした。
僅かな光に反射したスミスミの向日葵時計は、既に正午を回っている。
はぁ……。思わず漏れた無言の溜息。世間はゴールデンウィークを楽しんでいると言うのに、僕は一体何をしているのだろう。
ゴールデンウィークに浮足立つ都会の雰囲気と異なり、朝霧町に漂う雰囲気は陰鬱として底無し沼の様に身体に纏わりつく。
こんな話、聞いてしまったから……。
ここから出たらきっと、今まで見ていた町の景色が変わっているだろう。
暗くて冷たい死の影が、僕に追いつくまで後どれだけの猶予があるのだろうか――。
僕はダムの奥底に沈んだ小さな村を、分厚いコンクリートの壁の外側から見ている気分になった。
今日はもう、帰ったら寝てしまおうか――。
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