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「はぁ……はぁっ……。小鳥遊……さん?」
儚い影がゆらりと振り返った。
翻る濡鴉の髪、白磁器の如く白い肌。薄く色づいた桜色の唇。
薄暮に浮かぶ彼女は暗闇と戯れる白雪姫の様だった。
「――気をつけてって言ったのに。……餞られない様に」
高級住宅街に続く信号の無いいつもの辻。小鳥遊は僕が渡った横断歩道の少し先にいた。
黒のシックなワンピースに、胸元には真紅の紐リボン。薄暮の中に真っ赤なリボンが映えていた。視線をずらすと、彼女の右手には装飾された菊の花束。
――誰へ手向ける花束なのだろう。
浅見花鳥の話を聞いて以来、小鳥遊とは一度も会えずにいた。同じクラスなのに会えないのは、不登校としか考えられなかった。
それか酷く気分屋か。
「……ふぅ。小鳥遊さんもお出掛け?」
深呼吸をして息を整えた。額に張り付く前髪が気持ち悪い。
「……そう。もうすぐ夜の帳が下りる。早く帰った方がいいよ」
視線を逸した小鳥遊は、挨拶も言わずにそのまま先を歩いて行こうとしていた。
それだけ?僕は君に聞きたい事が山程あるのに――。
またとない機会。逃す訳にはいかないが、タイミングが悪い。せめて昼間だったら……。
いや、今しかない。夜の恐怖心なんて小鳥遊に会った瞬間に消えてしまっていた。
「ちょっと、いいかな」
考えるより先に言葉が先走った。
ぴたりと立ち止まった小鳥遊は、なかなか振り向こうとしない。
「夜、そこに行くのは危ないよ。特にあの辺は人気も全く無いし。君は女子なんだから尚更」
この辺は引っ越し当初に散策していたので、小鳥遊が向かっている方向に何があるか分かっていた。
僕の自宅はこのまま真っ直ぐ進んで左側に見えるマンション。僕の位置からでもはっきり見える高層マンション。
そこを通り過ぎると突き当りに丁字路がある。左に曲がって道なりに行くと、徐々にくねった上り坂になり、林の中へ続いている。
静かな林の中には静かな眠りがある。
――墓地だ。
この近辺に花を手向ける場所などそこしかない。誰かに渡す花という可能性もあるが、純白の菊の花を見てそれな無いと確信した。
つまり彼女の花は供花。
わざわざこんな薄暮時に行かなくてもと思ったが、事情があるのだろう。
しかしこの時間に女子中学生一人は誰がどう見たって危険だ。
「嫌じゃなければ、一緒に行くよ」
自分が何を言ったのか一瞬分からなかった。
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