Chapter 2 「誘引《ゆういん》」

27/44
前へ
/311ページ
次へ
「はぁ……はぁっ……。小鳥遊……さん?」  儚い影がゆらりと振り返った。  (ひるがえ)濡鴉(ぬれがらす)の髪、白磁器の如く白い肌。薄く色づいた桜色の唇。  薄暮に浮かぶ彼女は暗闇と(たわむ)れる白雪姫の様だった。 「――気をつけてって言ったのに。……餞られない様に」  高級住宅街に続く信号の無いいつもの(つじ)。小鳥遊は僕が渡った横断歩道の少し先にいた。  黒のシックなワンピースに、胸元には真紅の紐リボン。薄暮の中に真っ赤なリボンが()えていた。視線をずらすと、彼女の右手には装飾された菊の花束。  ――誰へ手向(たむ)ける花束なのだろう。  浅見花鳥の話を聞いて以来、小鳥遊とは一度も会えずにいた。同じクラスなのに会えないのは、不登校としか考えられなかった。  それか酷く気分屋か。 「……ふぅ。小鳥遊さんもお出掛け?」  深呼吸をして息を整えた。額に張り付く前髪が気持ち悪い。 「……そう。もうすぐ夜の帳が下りる。早く帰った方がいいよ」  視線を(そら)した小鳥遊は、挨拶も言わずにそのまま先を歩いて行こうとしていた。  それだけ?僕は君に聞きたい事が山程あるのに――。  またとない機会。逃す訳にはいかないが、タイミングが悪い。せめて昼間だったら……。  いや、今しかない。夜の恐怖心なんて小鳥遊に会った瞬間に消えてしまっていた。 「ちょっと、いいかな」  考えるより先に言葉が先走った。  ぴたりと立ち止まった小鳥遊は、なかなか振り向こうとしない。 「夜、そこに行くのは危ないよ。特にあの辺は人気も全く無いし。君は女子なんだから尚更」  この辺は引っ越し当初に散策していたので、小鳥遊が向かっている方向に何があるか分かっていた。  僕の自宅はこのまま真っ直ぐ進んで左側に見えるマンション。僕の位置からでもはっきり見える高層マンション。  そこを通り過ぎると突き当りに丁字路がある。左に曲がって道なりに行くと、徐々にくねった上り坂になり、林の中へ続いている。  静かな林の中には静かな眠りがある。  ――墓地だ。  この近辺に花を手向ける場所などそこしかない。誰かに渡す花という可能性もあるが、純白の菊の花を見てそれな無いと確信した。  つまり彼女の花は供花(くげ)。  わざわざこんな薄暮時に行かなくてもと思ったが、事情があるのだろう。  しかしこの時間に女子中学生一人は誰がどう見たって危険だ。 「嫌じゃなければ、一緒に行くよ」  自分が何を言ったのか一瞬分からなかった。
/311ページ

最初のコメントを投稿しよう!

229人が本棚に入れています
本棚に追加