Chapter 2 「誘引《ゆういん》」

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 ――ヒュッ………ヒュウ……。  先程から鳴り止まない切り裂く音。  音は遠いが、この町には"この音"しかしないのだ。だから余計に気になった。しかし今はそれどころではない。  不穏な町並みの影が恐怖心を煽る。  霧の合間に見えた空は黄昏。辻で小鳥遊を見失った時と同じ空の色をしていた。それが余計に寂しい。退廃的な雰囲気を漂わせる町は、まるで世界から見放された様な……(いな)、世界の外側にある様な気がした。  そしてしばらく歩き続けて判明した事がある。住宅に明かりは()いているのに、人の気配が全く無いのだ。カーテンで隠された窓越しにちらつくのは家具の影やテレビの光だけ。  点けっぱなしの競馬中継も、ニュースも、視聴する人間は誰もいない。町の中から全ての人が消えていた。小さな生き物達も同様に。 「誰もいない……」  不安定なか細い声は霧の中に消えた。そこでこの町は"本当に朝霧町なのか"という疑問が浮かんだ。  古来より辻は異界へ通じていると言われている。あの異常な夕霧はその合図――すなわち異界への扉が開いている事の証だったのではないかと。  はぁ……そんな事あるものか。  普段なら馬鹿馬鹿しいと思うし、僕自身現実と夢の区別はついているつもりだ。ファンタジーやホラー小説に傾倒(けいとう)しているせいか、妙に現実離れした思考に飛びやすい。でもあくまでもそれは妄想である。  お決まりで頬をつねってみるが、痛いだけだった。  現実。本当はもう少し大きな痛みを試したいところだが現実と分かって諦めた。  だが、小鳥遊や日向達といい(そろ)いも揃って不審な態度を取るものだから、妄想も(あなが)ち嘘ではないのかもしれない……。  ――ヒュッ……ビュウ……ヒュー……。  意識が覚醒した時より大きくなる音。  ――僕の気のせいでなければ……確実に音が近付いて来ている。  背筋に悪寒(おかん)が走る。頭の中で血の様に紅いサイレンがけたたましく鳴り響いていた。 『――逃げろ、逃げろ、逃げろ!』  本能が叫んでいる。恐怖に染まった瞳にの奥に本物の死の恐怖を見た気がした。  意識のガラス越しに必死の形相で、何度も両手を叩きつける。  ――ヒュ!ヒュ……ビュッ!
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