第一章 荒廃

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通りを歩けば煩雑な人混みが空気のように存在し続け、ポケットに財布さえ入っていればどこでもコーヒーは飲めた。いや、仕事の中であれば水の代わりに提供されていたくらいだというのに、この変わり様はどうだろう。もう三年、飲んでいない。  ―無事なコーヒー農園はあるのか―  などと思った事もあるが、世界中で同じ事が起きているのにそこだけ無事な農園があるものか。第一、奇跡的に難を逃れたとしてコーヒー豆を生産し続けている筈がない。元リポーターの思考としてはあまりに浅はかだ。だが、立ち切り難い嗜好品への切実な願望でもある。自分は吸わないが、これが煙草だという人なら発狂した者も居たかも知れない。  毛布を手繰り寄せ、体に纏いながら窓へ向かう。朝の訪れを予告する薄明かりが街のはるか遠く、市庁舎の頭を輝かせた。その輝きを見据えながら、マリンは毎朝続けているルーティンを、頭の中で復唱した。  朝は日が上ってからが人間の活動時間。勿論感染者もうろつくが、夜に比べれば二割に減ったと思えるほどの差だ。時間で言う七時から午後四時までの九時間が人間にとって、最も生存確率が高い時間帯。逆に、午後の四時過ぎから朝までは死の時間。外に居る人間にとって、その晩を越せる確率はほぼゼロに等しい。日中に見る感染者の五倍もの量が夜空の下に溢れかえる。  ソファに戻り、手早く身支度を整える。腰にホルスター付きのベルトを巻き、弾数と安全装置を確実に確認する。ペットボトルの水を用いてシンクで顔を洗い、目を完全に覚ましてから本格的な身支度を仕上げる。ミニスカートとスパッツの組み合わせからジーンズに着替え、ナイフを太股に固定し、空にしたバックパックに双眼鏡と水の入ったペットボトルを入れて背負う。忘れかけていた食べかけのベーコン缶にはラップを貼り付けて包む。 「・・・」
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