其ノ一

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 ――カチ……カチッ……カタン  指先に伝わる微かな抵抗力の違いを手掛かりに、男は錠穴に差し込んだ針金を動かす。  右に左に――もう一度右奥のとっかかりに引っ掻ける。  神業のように正解に、彼は作業を続ける。  ――ガチャン  程なく彼の掌の中で、固く口を閉ざしていた番人が、力なく崩れた。閂の外れた錠前は、頑なな女が肌を顕にするかのように陥落し、重い土蔵の扉を開いた。  この瞬間――土蔵破りの解錠の瞬間が、権蔵(ごんぞう)には堪らない快感だ。  ――へへ……チョロいモンだ。さて、どんなお宝が眠ってなさるかな。  足音を殺して暗い土蔵に踏み入れる。  開けた扉をギリギリまで閉じると、懐から火打石を取り出してカチカチと合わせた。小さい火花が火種となって、手元を照らすべく蝋燭に移る。  ボゥとした柔かな光源は、石組の棚にきっちり積み重ねられた無数の桐箱を浮かび上がらせた。  埃の積もり具合から、いくつか抜き出し、中を確かめる。 『赤楽 【暁】』 『楽 【初霜】』 『志野 【枯薄】』  いずれも銘が付いた名品だ。ゴクリ――思わず喉の奥が鳴る。  この茶碗一客で、一年は悠に遊んで暮らせる金になるだろう。  権蔵は食い入るようにしばし眺めたが、首を振って二箱は棚に返した。  ……欲を出しちゃいけねぇ。  権蔵は慎重だった。  彼は赤楽の入った桐箱を持参した紫紺の風呂敷に包み、丁寧に小脇に抱えた。扉の前まで戻ってから、蝋燭を消す。  そして重い扉からスルリと外へ滑り出すと、懐に入れていた錠前を再び扉に取り付けた。これで家人には、当分お宝が消えたことに気づかれまい。  足早に土蔵から離れると、塀の影に張り付くように身を隠す。塀に沿って母屋を回り、裏の木戸から小路へ身を翻した。月のない闇夜に紛れ、丑三つ時の静寂を駆け抜ける。  土埃を蹴散らし乾いた足音を小さく立てて、一気に橋を渡った。川向こうの薄野原に埋もれて、寂れたお堂が蹲っている――そこがここ数日の隠れ家だった。  破れた障子戸を開け、中に転がり、権蔵は一息付いた。  行灯に火を入れる。三間程の狭い室内には、体の大半が朽ちた菩薩像だけが鎮座していた。吹き込む風雨と乾燥に晒され、材質の木材は変色し、頬に一本ひび割れが走っている。すきま風に揺れる明かりの加減で、慈悲深い半開きの瞳から一筋、泣いているようにも見える。
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