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「そこに現れたのが、こちらの大旦那様、善右衛門さんでやした。あっしの事情を親身に聞いてくださり、目当ての太夫がご自分の贔屓だと知ると、呼び出して、一晩お譲りくださった」
「お朝のことですかい」
「へぇ、朝香太夫と一夜を過ごすなんざ、夢のまた夢。そりゃあ、もう、天にも昇る心地でやした」
父親が道楽の果てに身請けまでした女の話だ。吉右衛門は内心、辟易していた。
「あっしは、何とか善右衛門さんに花代をお返ししようと働きやした。ですが、一度手離した商売、そうそう儲けなんざ出やしやせん。結局、あちこちで色んな仕事に手を染めやした。……そんな折、嵯峨美屋さんの噂を耳にしやしてね」
「噂?」
「へぇ。嵯峨美屋さんの若旦那が、辰次郎親分に――随分と世話になってなさる、と……」
「――!」
思わず吉右衛門の背が伸びる。対峙する男の目付きが変わった気がした。
「吉右衛門さん。あっしは今、ちょっとしたツテで辰次郎親分が造らせた錠前を持っておりやす」
「錠前?」
頬を強張らせたまま、聞き返す。その声が微妙に上ずった。
「錠前職人の源ってぇ男にこしらえさせたカラクリ錠でさ」
「カラクリ錠……」
「こいつを――」
権蔵は懐から錠前の入った木箱を取り出した。それをズィと火鉢を避けて、吉右衛門の前に押し遣る。
吉右衛門は困惑した顔で、木箱と得体の知れぬ男とを見比べた。
「どうぞ、手に取っておくんなせぇ」
言われるがまま、吉右衛門は木箱を手にした。見た目に反してズシリと重い。恐る恐る蓋を開け、グッと眉間が険しくなった。錠前は門外漢だが、細工の効いた逸品だということは一目で分かる。
「鍵が付いてやすでしょう?」
開錠を促されたものの、徳爺さん同様、すぐに降参した。
「……面白い。どうやるんだい」
吉右衛門の興が乗ったのを見て、権蔵は大きく頷いた。
「こいつを、辰次郎親分は十両で買いたいと言ってやす」
「……何だって?」
「吉右衛門さん。どうぞ、この錠前を辰次郎親分に届けて、使い方をご教示なさってくだせえ。貴方様が抱える盆代の、いくらか足しになりやすでしょう」
権蔵は、努めて淡々と言葉を継いだ。まるで手練れの商人宜しく、会話の矛先を右に左にかわしつつ、相手の急所をズバリと突いた。
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