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「……分かるのか」
ふふ、と女は薄く笑う。
「あたしも、昔は職人の娘さ。こんな長い指の男は器用で――女泣かせに決まってる」
絡めたままの指に、手の甲に、何度も口づける。いとおしげに繰り返す様子を、権蔵は静かに眺めていた。
――お香も、こんな風に数多の男の腕に堕ちたのだろうか。
花街に売られて半年も経たぬ間に、長屋にはお香の噂が流れてきた。
元々評判の器量良しだった彼女は、あっという間に売れっ子の遊女になり――一年後には太夫になっていた。
権蔵は一目会いたいと、真面目に働いて金を貯めた。しかし、太夫を一晩独占する大金など、二十歳前の若者が稼ぐことは到底無理だった。
錠前職人として、一人前の仕事を任されるようになった二十一歳の冬。
『朝香太夫』と呼ばれるようになったお香は、豪商の旦那に身請けされたと風の便りに聞いた。相手は父親よりも歳の離れた五十に近い男やもめで、彼女の前にも数人『前妻』がいたらしい。嫁ぎ先の商家では、彼女より歳上の『前妻』の息子達が商売を仕切っており、若い嫁は隠居爺の慰みに囲われたのだ――と噂された。
「……買われたようなもんだ」
呟いて、煙管を吸った。渋い煙を味わうと、苦い嘆息と共に吐き出した。
隣の女は、細い指先で包み込んだ彼の手を乳房の間に抱いたまま、いつしか眠りに落ちていた。
――この女も、似たり寄ったりの身の上か……。
情は沸かないが、胸の奥から哀れみが漏れる。
しばらくこの宿に逗留するつもりだ。その間は俺が買ってやろう。
最後の一服を吸い終えると、権蔵は煙管を火鉢の縁に引っ掛け、それから行灯を吹き消した。
明かりに追いやられていた闇が、天井の四隅からゆっくりと染み出して、横たわる男と女の上に広がった。
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「あんたは、何の職人なんだい?」
すでに日は高いが、お鈴は権蔵の側にいた。
普通、客が払う花代は一晩を共にするための対価で、朝日が昇ると送り出されるのが習わしだ。
旅立つ行く先も、帰る家もない権蔵は、当面女郎宿に身を置くため、宿を切仕切る中年女に少なくはない金を掴ませた。お鈴の花代に色を付けると、喜んで彼女を貸出した。
それどころか、頼んでもいない朝飯や酒を運び入れてきた。中年女は、気前よく金を前払いした権蔵を上客と見なしたらしい。他の店に流れぬよう、すこぶる歓迎振りだ。
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