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権蔵は畳から顔を上げた。それから「失礼しやす」と吉右衛門の側に進み出ると、カラクリ錠を器用に動かし本物の鍵穴を出して見せる。
「この突起を、こう……捻って、この部分に」
――カチャン。
素直な金属音が、鍵の動きに応える。頑なに閉じていた掛け金が開く。
「……見事なものだ」
先ほど、びくともしなかったことを知っている吉右衛門は感嘆の賛辞を贈る。
「それじゃ、次は貴方様が」
「あ、ああ」
権蔵ほど器用ではない吉右衛門だったが、カラクリ錠の開錠方法を覚えるのは、さほど苦労はなかった。
複雑な造りの錠前だが、やり方とコツさえ掴めば何ということもない。
「約束は、亥の刻。今夜は常盆はありやせんので、親分はいつもの船着き場に居やす」
「分かった。支度して、すぐに届けに行くことにしよう」
海老錠と鍵を木箱に収め、吉右衛門は目の前の訪問者に向かって、居ずまいを正した。
「有り難う、権蔵さん。床に伏せている父の分も礼を言います」
善右衛門が眠った切りということは、世間には隠されている。「最後に、一目、お礼を」などと言い出される前に釘を刺しておく。
「いえ。これで、思い残すこたぁありやせん」
権蔵は、何故か不吉な言い回しをした。
敵か味方か分からない相手と今生の別れになることはやぶさかでないが、その相手が思いがけず神妙な面持ちをしたことに戸惑った。
「妙な言い方はよしてくださいな」
吉右衛門の苦笑いすら意に介さず、権蔵は真顔でスッと立ち上がった。
「じゃ、あっしはこれで。失礼しやす」
一礼して、廊下へと姿を消した。通された順路を記憶しているのか、迷いない足音が遠ざかって行った。
残された吉右衛門は、しばし木箱を見つめていたが、炭火の爆る音に我に返ると、立ち上がって部屋を出た。その手に木箱を確と握り締めて。
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権蔵の思惑通り、吉右衛門は動いた。
火鉢の始末と、客人についての口止めを松之助に申し付けると、自身は鉄鼠の羽織に袖を通して、闇の深まった通りを小走りに駆けて行った。
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