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「もういいぜ。お前はもう、憎しみに染まるな」
慈しみを込めてその背を撫でると、レンは哀しげに「にゃあ」と低く鳴いた。
そのまま、しばらく優しい沈黙が流れる。権蔵はレンを撫でながら虚空に瞳を投げ、お香の姿を思い描いていた。
この場所で、お香とレンが会話していたことが懐かしい。土蔵での日々、彼女の途方もない孤独を、レンがどれ程癒してくれたことだろう。
それに、権蔵が彼女と再会を果たせたきっかけも、レンだ。改まって口にしないものの、権蔵は深く感謝していた。
「……あ!」
徐に身を起こしたレンが、ピンと耳を立て、瞳を輝かせる。
「うん? どしたい、レン?」
見下ろす権蔵と視線が合う。酷く動揺した様子だが、次の瞬間、ニンマリと目を細めた。そして、彼の膝からピョンと元の大石に飛び移った。
「権蔵さんっ――今、吉右衛門が斬られました!」
「分かるのか?」
思わず権蔵も立ち上がる。
「ええ! ええ……! 想いを、果たしました、朝香様ぁ……」
感極まって叫ぶと、レンは前足で頻りに顔を拭った。その姿がユラリ、薄くなる。
「おい、俺を置いて成仏しちまうんじゃねぇだろうな?」
慌てて声を掛けた権蔵に、鮮明に戻ったレンが微笑んだ。
「ふふ……まだですよ、ご心配なく」
「そうか……随分、お香を待たせちまった。寂しい思いをしてるだろう」
白猫は、ボゥと微かに発光すると、ふわりと宙に浮いた。
妖しげに双眸が輝きを増す。
「権蔵さん。朝香様は仰っていたじゃありませんか、『ここで待ってます』って」
「――ここに、いるのか?」
「ええ。ほら――あすこに」
レンに示され、振り向いた背後には土蔵の瓦礫はなく――嵯峨美屋の塀も、星空もない。
ほの暗い灰色の世界が限りなく広がり、目を凝らすと、帯のように黒くのたうつ水の流れが横たわっている。足元には、大小様々の大きさの砂利。ここは、河原だ。
その寂涼とした河原に、眩しいほどに純白の着物を纏った麗人が佇んでいる。
「お――お香っ!」
「……権蔵さん?」
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