其ノ十五

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「――朝香さまー、権蔵さーん」  やや遠慮がちに二人を呼ぶ声がする。抱き合ったまま、声の主を探すと、レンがふんわりと形を滲ませながら二人の元に駆け寄って来るところだ。 「レン!」 「お前、どこに……」 「お邪魔してすみません。ですが、そろそろ参りませんと……」  白猫は、二人の一尺前でヒョイと宙に浮き上がり、申し訳なさそうに金色の瞳を細めた。 「――え?」 「ほら、あちらの世界が呼んでいます」  レンは、右前足でスィと一方を示した。  それは川のある方向だった。あれほど黒々と不気味にのたうっていた川の流れはすっかり治まり、穏やかにせせらぐ水面がキラキラと虹色に煌めいている。 「権蔵さん、身体が……!」  触れ合う互いの身体の輪郭がゆらゆらとぼやけている。もう、この場所にとどまっていてはいけないのだと、二人は何故か理解した。 「……行こう、お香、レン」  権蔵はお香の額に口づけると、彼女の腰に腕を回し、しっかりと抱く。お香はレンを抱え、彼らは一塊(ひとかたまり)に寄り添いながら、川に向かって歩き始めた。  ユラリ、ユラリと形を滲ませつつ進んで行く。  やがて二人の足は川に浸かり、足首、膝、腿と五色の水中に沈む。温かくも冷たくもない。不思議と恐怖は湧かなかった。腰の深さが最深部で、川の中程を越えると水位は引いていった。  岸に着いた時、彼らはまるで濡れていないことに気付いた。そして、各々の輪郭が再び明確に戻った姿を見て、もはやこちらの世界の者なのだと納得した。  その時――遠く、彼らの遥か前方から、歌に似た響きが伝わってきた。重く深く染み渡り、何とも心地良い。蝶が蜜に惹かれるが如く、魂が引き寄せられる。  灰色の靄とも光とも見分けのつかない行く先は、恐らくあの世に違いない。  静かに微笑み合いながら、彼らは響きの源へ歩を進めて行った。
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